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M-51Parkaに関する2,3の事柄

8月15日、渋谷にて「この世の果て、数多の終焉」観てきました。

 8月15日、帝国日本が敗北受入を公表したその75年後のこの日、渋谷で映画を観てきました。
 とても暑い一日ですが、個人として日本国憲法に保障された「自由と人権」を、ささやかに味わっています。あの時点で帝国が崩壊してホントに良かった。映画の帰り道、焼き鳥で焼酎ソーダ割を飲みながら、しみじみとそう思います。
(以下、ネタバレに近いと思いますので気になる人は映画を観てから読んでくださいね)
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« Les Confins du monde »予告編

 東京渋谷のイメージフォーラムで、北部インドシナの1945年を描いたフランス映画が公開されました。「この世の果て、数多(あまた)の終焉(Les Confins du monde)」です。
 お話は、親独ヴィシー政権の崩壊を受けた日本帝国主義が、フランスの植民地権益に対抗するいわゆる「明号作戦」から始まります。その日本帝国軍による虐殺を生き延びた主人公は、なぜか「ベトミンのカリスマ指揮官」に拘り?復讐を誓います。
 ストーリーは暗示的なシーンの積み重ねで進行していくため、観る人なりで捉え方は様々と思います。
 べトミンの捕虜3人はどうなっちゃったのだろうか?とか・・・
 わたし的には、ラストシーンで、老作家(ドパルデュー)と失語症になったマイ(ケ・トラン)が一緒にいるというシーンがわかりませんでしたよ。(これ、例えば主人公(ギャスパー・ウリエル)の戦死を暗示してるとか??)
 映画を観終わって、頭に浮かんだのは、本国がナチから解放されたのに、インドシナ植民地防衛に汲々とするフランスの姿に「帝国ではなく共和国という政体であっても、ふたたび軍事的打撃を受け、政治的敗北がないと植民地権益からは自由になれないのだなあ」としみじみしたのでした。あと、フランス人下士官と地元集落の若者で部隊を編成して拠点宿営地から出撃するとか「うわあ、これってまさにモンタニャードのCIDGの原型じゃね?なるほどこういうイメージかあ」などと深く感心したわけでした。
 さまざまな思いを巡らせ、帰路は井の頭線吉祥寺で下車、いせやの焼き鳥をつまみながら、物思いに耽ったのでした。


by poemaquince | 2020-08-16 18:09 | 映画 | Comments(3)
Commented by 森泉大河 at 2020-09-01 22:31 x
ご無沙汰してます。この映画の存在を始めて知りました。時間が取れれば是非見に行ってみようと思います。
西洋人指揮官の下で戦う現地人兵士に関してですが、その始まりはかなり古く、少数民族を含むインドシナ人のフランス植民地軍への登用は、植民地化された直後の1890年代からすでに始まっており、ベトナム人部隊(一部モンタニヤード含む)は第1次世界大戦の西部戦線にも派遣されています。
映画の題材となった明号作戦では、日本軍への降伏を拒んだ多くの仏軍ベトナム人兵士がフランス人将校と共に中国領に撤退し、中国国民党軍と合流して終戦まで日本軍と戦いました。
さらにその後第1次インドシナ戦争に突入すると、フランスは植民地軍のベトナム人部隊を基にベトナム国軍を発足させると同時に、フランスの情報機関SDECEは現地の反共派住民をベトミン掃討の戦力として活用する特殊作戦を開始し、北部ベトナム人から成る「コマンドス・ノルトベトナム」や、少数民族から成る「GCMA」といった非正規コマンド部隊を組織しました。
そして、このSDECEによる現地人武装計画は、後年アメリカが行ったCIDG計画とまさに瓜二つでなのです。インドシナ戦争当時からアドバイザーとしてこの作戦を目の前で見てきた米国CIAや軍事顧問は、当然ゲリラ掃討戦におけるこの戦法の有効性を政府に報告していたはずであり、アメリカがCIDG計画をあそこまで大々的に発展させられた背景には、フランスSDECEが遺した成功例の存在が大きかったのだろうと僕は考えています。(ただしGCMAに参加したのは主に北部のモンタニャール(タイ族系)であり、CIDGに参加した中部のモンタニャール(デガ)や低地少数民族とは民族が異なります)
長文失礼いたしました。
Commented by poemaquince at 2020-09-02 02:18
タイガさま
ベトナムの歴史について、詳細なコメントありがとうございます。インドシナ半島における「帝国主義」の後味の悪さは、支配・被支配の関係、例えばアングロ人vsアジア人という単純な対立構造だけではなく、ベトナム人vs山岳少数民族、vsクメール人…などなど、対立の重層構造にもあるのかなあ(まさに分割統治?)などと感じたりもしています。20世紀は、そこに「左右のイデオロギー」が輻輳して、インドシナ半島に住む人々は、より激烈・過酷な歴史を生きざるを得なかったのかなあと。そんな人々の状況と本邦の「戦後」を思い浮かべながら、8月15日はしみじみしていました。
Commented by poemaquince at 2021-01-12 12:39
追記:上記コメント本文3行目は、「帝国主義」の後味の悪さ→「帝国主義からの解放」の後味の悪さ、のつもりでした。ことば足らずすみません。訂正します。