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M-51Parkaに関する2,3の事柄

海兵隊の息子がガバナーとなった。日本の国民は沖縄の意思を真摯に受け止めるときが来たと思う件(番外編)

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 米国海兵隊の運用をご承知の皆さんには改めて説明するまでもないこととは思いますが、ご存知ない方のために申し上げますと、沖縄に駐留する海兵隊基地は、「日本の防衛」にはあまり関係はありません。
 海兵隊は、緊急即応軍として海外展開する軍事力であり、その行動は米国の外交上の利益に資する場合だけです。もちろん、一般的には軍事力のプレゼンスが何らかの「抑止力」として機能することは事実ですが、それが海兵隊である必要はありません。海兵隊が沖縄に駐留する本質的理由は海兵隊にとってコストが「リーズナブル」であるということであり、戦略的意義で(基地が使えたら便利だけど)かならず必要という類のものではないのです。
 こういったことを書くと、ミリマニア方面の方などから「沖縄の地理的条件がー」とか「オスプレイ航続距離はー」とか反論があるかもしれませんがその指摘は全く当たりません。軍事的プレゼンスはほかの兵力で間に合っているからです。
 アジア太平洋地域には日本以外にも米国の同盟国が多数あります。もし戦略的にMEU(Marine Expeditionary Unit)展開のための地理要件がどうしても必須であるならば、海兵隊基地は他の場所、他の同盟国へ配置したほうが合理的(たとえば韓国とかフィリピン、極論すればタイランドとか台湾とか)ということになりますが、実際にはそんなところに基地はない(リエゾン機能で要員配置がある場合はあるけど)。沖縄配備が必須という地理的要件は後付けの理屈に過ぎないからです。実際には沖縄に米軍基地が集積した理由は歴史的・政治的な要因からにほかなりません。それは、1972年まで沖縄が米国の「間接」統治下にあったことが最大の理由です。1945年以降、占領軍として広大な軍用地が確保でき、また委任統治時代には基地の設置にあたっていわゆる主権国家とのネゴシエーションが不要であったことなどが大きく影響しているのでしょう。実際、本土(日本の)の「米軍基地設置」が理解されないことにより沖縄に基地が移転したこともありました(これまた元ベストセラーアレ作家がデマ流しているそうですが(※1))。また、復帰後は「経済大国」となった日本からさまざまな「思いやり」のお金が沖縄の米軍基地に流されてきました。海兵隊としてもかなりの部分「自前」で調達しなければならない他の国で基地を運用するより、とても「リーズナブル」で「カンファタブル」であったわけです。

 さて、そういった前提で今回の選挙結果を考えれば、普天間ー辺野古の海兵隊基地問題に関して日本政府が「ゼロ回答」を推し進めようとするのは「成熟した民主主義国家」の政府の態度としては全くふさわしくありません。そもそも海兵隊第三機動展開部隊の主力はすで2020年ころまでに沖縄からグアムへ移転予定であり、それに関して日本政府は6千億円の「思いやり経費」もほとんど約2割が支出済です。
 多くの専門家が指摘する(※2)とおり、軍事的合理性の観点から抑止力としての在沖空軍・海軍基地は当面は継続がやむを得ないとしても、沖縄の負担軽減のひとつの落としどころとして海兵隊基地は廃止移転ということが道義的・歴史的には妥当なのではないでしょうか。
 ヤマトに住むわれわれは、すでに充分すぎる苦難を味わってきた琉球のアイデンティティーに無関心のあまり配慮を欠いてきました(それはどこか原子力発電所を地方の過疎地に押し付けてきた構造とも通底する気もします)。しかし、国際環境と社会構造の激変するなかで、そうした態度で今までのように事態を先延ばしにすることができない時代になっているのではないかと、本当に強く感じている今日このごろであるのです。何処からか「ボーッと生きてんじゃねーよ!」というお叱りの声が聞こえてくるのです。
本文注
(※1)
(※2)
一例として、門谷数重氏「隅田金属日誌」


1965年宜野座村(c)嬉野京子氏撮影 写真の状況は下記参照
海兵隊の息子がガバナーとなった。日本の国民は沖縄の意思を真摯に受け止めるときが来たと思う件(番外編)_a0164296_15120702.jpg
( 池田香代子氏ブログより引用)
 4月20日、宜野座村に入りました。小学校で休憩に入ったとたん、「子どもがひき殺された!」。なんと行進団の目の前で、小さな女の子が米軍のトラックにひき殺されたのです。手に通園用のバッグを持ったまま。死んだ女の子の側に突っ立っているだけのアメリカ兵。しかし驚いたのは、駆けつけた日本の警察でした。米兵を逮捕するでもなく、軍用車がスムーズに走れるように交通整理をはじめたのです。
 これを目の前にして何もしないわけにはいきません。「撮らせてほしい」と懇願しました。「生きて帰れないよ」と言われましたが、引きさがれませんでした。「わかった、見つからないようにぼくの肩越しに撮ってくれ」、一人の男性が肩を貸してくれ、たった一度押したシャッターがこの写真です。


参考:いわゆる「ガイドライン」(防衛省HP)
NTUY情報だけでなく一次資料(笑)もちゃんと読んでみよう。
ただし、その行間も読んでね。
日米防衛協力のための指針(2015年4月)


事実関係誤認のため一部修正(2018oct08


by poemaquince | 2018-10-08 15:18 | 番外編 | Comments(0)