2018年5月6日 TOKYO NO HATE のフロートで考えたこと
さて、フロートは次々と出発していきます。なんと全部で37グループのフロートパレード(デモ用語でいうところの梯団ね)が出るみたいです。どのフロート参加するかは選べる(申し込み時間制限あり)のですが、企業フロートはゼッタイヤダし、やはり名前で選ぶのなら「TOKYO NO HATE」といったところでしょうか。TOKYO NO HATEのフロートの出発は14時です。それまでに渋谷のコンビニで腹ごしらえです。
今回のTOKYO NO HATEの先導は、女性MC WAKAKOさん& Kinueさんです。いやカコイーっす。いきなり「トウキョーノーヘイト」のコールが続きます。そしてWAKAKOさん(たぶん)の「わーたーしーは〜だまらないー」に痺れます。大盛り上がりの2Km(推定)でした。
家に帰っても「トウキョーノーヘイト」のコールが頭の中をぐるぐる回ります。そして「わーたーしーは〜だまらないー」も耳の奥でこだまします。そのことば意味について、うつらうつら考えたりします。「わーたーしーは〜だまらないー」・・・「私は黙らない」、・・・パレードの時は思い浮かばなかったのですが、そのことばが最近観て来た二つの映画とダブります。ああ、同じテーマだ。ひとつは「ラッカは静かに虐殺されている」もうひとつが「タクシー運転手」、前者は内戦下のシリア、とりわけIS占領下でのラッカでの状況をレポートして発信しようと活動するシリアの人々のドキュメンタリー、後者は80年韓国クァンジュでの市民弾圧、いわゆる光州事件の状況を取材する海外ジャーナリストとそれに「巻き込まれた」タクシー運転手のお話です。共通する「黙らないことの責任と困難さ・・・」
連想はつぎつぎ広がります。少し前だったけど、つづけざまに観たドキュメンタリー映画二本も思い出します。「ハーヴェイ・ミルク」と「三里塚のイカロス」、前者は70年代のサンフランシスコの市政委員に選出されたゲイ活動家で、のちに同僚の「まじめな」市政委員に射殺されてしまう。後者は(革共同の飛翔弾ではもちろんなくて)、60年から80年代にかけての三里塚闘争にかかわった当事者たちの証言をまとめたもの。これらもまた、全く違う意味での「黙らないことの責任と困難さ・・」が想起されます。「わーたーしーは〜だまらないー」って、けっこうオモッ!
4っつの映画がつぎつぎ想起されたけど、ドキュメンタリーの3本は個人的にはすごく面白かった。光州事件をテーマにした「タクシー運転手」は、期待が大きかったせいか後半少しエンタメドラマにより過ぎで、すこしやり過ぎかなと感じてしまいました。
追記:そーいえば、「ペンタゴンペーパーズ」もみていたのだけど、全然思い浮かばなかった。お金持ちのセレブの話だったからかな?