M-51Parkaに関する2,3の事柄

日本の安全保障の不幸

 ここのところ生活に追われてブログどころでなかった(笑)のですが、ちょっともうリアル社会が結構アレな状況になってたりしちゃってます。こんな状況が2012年12月には予想されていた(http://parkashell.exblog.jp/16992837/)訳ですが、ついにその一歩が始まりました。
 いやはや、こんな法改正を許してしまったら未来の日本人に対して申し訳が立たないです。「リベラル」で「デモクラティック」を名前とする政権党は、「民主的な人民の共和国」を名乗るお隣の首領様の国と同じくらい悪い冗談に思えます。
 今回の法改正は日本の外交政策の根本的転換を伴います。日本の軍隊が、朝鮮戦争やべトナム戦争に派兵されず、1945年から今日に至まで「平和国家」として国際社会で一定程度認められて来たのは、日本国憲法の理念から導かれる「専守防衛」という理屈で同盟国(米国)からの派兵圧力を受け流すことができたからといえます。
 安倍首相は「戦後レジームからの脱却」というスローガンで今の日本国憲法を「米国からの押しつけ」として「憎んで(c島田雅彦)」いる訳ですが、その一方で、米国の世界戦略を押し付けられても、何故か嬉々として諾々の様子です。
 安全保障環境の変化に対応するのであれば、「集団的自衛権」云々の前にやるべきことは沢山有るはずです。まずは首相ご自身が「靖国史観」からの脱却を図るのがよろしいでしょう。その上で、関係隣国との信頼醸成を深化させていくということが、本来の保守政治家の使命なのではないかと強く思うのです。(まあ、取り巻きもアレな感じで、首相は「保守政治家」というよりは国家主義的・権威主義的ポピュリストといったところでしょうか。取り巻きはアレなおばさんも含めてほとんどファシストもどきですよね。)
 クラウゼヴィッツのいうとおり「戦争は政治(交渉)の一形態」(※)とすれば、安全保障はまさに「政治(外交)」に規定されます。安全保障の最大のリスクが安倍首相の「稚拙な敵味方二元論」と「安っぽい靖国史観」にあるところにこの国の安全保障の不幸があるのです。
 ※戦争は他の手段による政治の継続である "War is the continuation of politics by other means."(「戦争のはらわた」でもシュタイナ軍曹が言ってますよね!)
 記:2015/7/17

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このひとはカール・フォン・クラウゼヴィッツ
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by poemaquince | 2015-07-19 11:33 | 安倍辞めろ! | Comments(0)