宮崎監督「風立ちぬ」の劇場版はなぜ唐突に終ってしまうのか?
その日誌のなかで、宮崎駿監督「風立ちぬ」の試写会時の作品について紹介しているページがありました。
http://schmidametallborsig.blog130.fc2.com/blog-date-20130713.html
「ネタバレ注意」ということだったのでそのときはブログを読まずに映画を観て来た訳なのですが、その後この「墨田金属日誌」を読んでみたら、「あれれ、そんなシーンあったっけな?」と、はげしく当惑したのでした。
「烈風」の空戦シーンとか、戦後のパイロットのエピソードとか。自分が見落としたのかなとも思ったけど、かなりはっきりしたエピソードのはずなのに、やはり記憶にひっかかりがない。封切り時に、再編集したのかな?とも疑っています。うーん謎です。
で、本編を観終わったあと、赤い大きな玉を翼に描いた美しい飛行機(九試)が宙を駆けるシーンから、ほんの数分で1945年まで至ってしまう。あまりに「さらり」としすぎていて、この映画を見る《富国も強兵も失敗した》ことを知らない人たちに、(宮崎監督の意に反して?)誤ったメッセージが伝わりそうで嫌だなーという不安の気持ちが沸き立つのでした。
むしろ背景画像だけで演出意図を明らかにして問いを観客に突き付ける上手い要約だと思いましたね。
リンク先ページのアレは同好の人に向けたシャレでしょう。
戦闘シーンらしい戦闘シーンはないはずですし。
コメントありがとうございます。リンク先ページのアレはシャレですかねえ?そーかー。うーん。