M-51Parkaに関する2,3の事柄

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いやコレまさにリアル「シン・ゴジラ」だ!!映画「太陽の蓋」観てきました(今更ながら)

 先週、ひさびさに映画のはしごをしてきました。
 午前中は新宿でケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」、夜は佐藤太監督の「太陽の蓋」を観てきました。
 「ダニエル・ブレイク」のほうは、カンヌ「パルムドール」なのですが、英国の「緊縮財政」が善良な(元)納税者を痛めつけるお話です。疾病でリタイヤするまでしっかり税金を払っていてもセーフティネットは穴だらけという労働党も保守党も陥った「緊縮財政」に対するケン・ローチ監督の静かな怒りが伝わってきます。いやまあ、人間の尊厳を挫くお役所の対応のお粗末さへの怒りはその通りなのだけど、サービスを維持する財源を誰がどう負担するのかという問題は解決が困難ではあるようにも思えます。
 そして掘り出しものは同日夜に観た「太陽の蓋」です。途中すこし冗長に感じられる部分もありますが、あの3.11の、とりわけ原子力災害に関しての官邸のドタバタぶりを上手く描いています!アレ?このテイスト!「シン・ゴジラ」じゃん!!
 映画「シン・ゴジラ」で描かれる対応のごてごて感とそっくりです。原子力保安院は、「あたしは東大の経済学部卒(文系なので分からない)」と開き直っちゃうし、東電は何を恐れてか情報を上げてこないし。あちらはフィクションだけど、こちらは実話ベースのお話です。一歩間違えばマジで首都圏壊滅の恐れありなシリアスな状況です。
 初公開は、2016年7月で、「シン・ゴジラ」とほぼ同時期の封切りだったようですが、アレ?だれもこの類似に気づいてないの??と思ってググって見たら柳下毅一郎さんほかみなさん言及してました(笑)。いや、この映画、もっと話題になって良い映画と思いますよ。特に「シン・ゴジラ」と併せて観るのが良いでしょうね。「ゴジラ」はほんとはいませんけど「ゲンパツ」は日本にもたくさんアリますからね。
 3.11からすでに6年、フクシマ原発について、最近では当時考えられていたより炉心のダメージが深刻であった事が明らかにされたりしています。マジで首の皮一枚だったわけで、ほんと東京は「たまたま助かった」といっても過言ではないでしょうよ。(ベントしてくれた東電決死隊のみなさんはじめ、当時コントロールに尽力された皆さん!ホントにありがとうございました)
 米国では幻冬舎から新書で出版された菅元総理の「東電福島原発事故-総理大臣として考えたこと」の英訳版が出版され、コロンビア大学の講演では700名の聴衆が集まったとか。
 アレバもウエスティングハウスも破綻しているなか、なぜが三菱重工や東芝のジャパンマネーが両社につっこまれて巻き添えを食らっています。商売を含め時代はもう原発から移っているのにアレ政権はなんで今更原発をエネルギー計画で「ベースロード電源」に戻してしまってるんだろ?
 道理に蒙(くら)く、歴史を透徹する知性の足りないアレ首相は、これ以上日本社会を毀損する前に一刻も早く政権から退場してほしいと心から願っていますよ。
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      ©2016 「太陽の蓋」プロジェクト/Tachibana Tamiyoshi
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by poemaquince | 2017-04-09 01:10 | 映画 | Comments(0)

「私人(閣議決定。笑)」が、国有財産をディスカウントさせるとよあしはらのみずほの國

 とよあしはらのみずほの「國」は、すごい國、天子さまのおわします神の國、一旦神の國に危機あらば、天子さまをお助けするためこの命をお捧げするつもりデス。
 と、このようにこどもたちを立派に教え導くために、立派な小学校をつくろうとしたのです。だからこの國の大臣(おおおみ)の奥様も役人の秘書を引き連れて大蔵頭領(ずりょう)にお話しなされたのではないのですか。だからお國の政府も地代を9億円も負けてくれたのではないのですか。あふさかの国造(くにのみやつこ)もお認めになつたのではないのでせうか。
 なにを今更になつて、申請が虚偽だつたとか、そんな奴(やつこ)とは会つた事が無いなどとまうされるのでせうか。いいでせう、こちらも蜥蜴の尻尾ですが此の際、蜥蜴の身ならずあたままで切り取つてしんぜませう。
 いづれは大臣(おおおみ)のおともだちにまつわる土地36億円(加計学園)の闇についてもお天道さまの光を浴びることになりませう。(←ここまでコトダマね。カゴイケ証人の)

 行政権力の最高責任者が、若いときからの「おともだち」へ、何十億の国家財産を差配したり、公費の秘書を伴った「私人」が官僚機構にサジェストしたりって、お隣の国の「退陣大統領」とおんなじ構図だよね!
 籠池のオサーンの愛国サギ商売には全く賛同できないけど、ノーメンクラトゥーラのヘイトコネクションから切り捨てられ、政治家や役所の黒い責任を全て負わされてオサーンひとりが糾弾されるのはまちがっている。その意味では、あのオサーンネズミには猫を噛んでもらいたい。


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写真引用(朝日新聞デジタル)
http://www.asahi.com/articles/ASK3R4RPFK3RUTFK00S.html
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by poemaquince | 2017-03-24 00:46 | 番外編 | Comments(1)

UNDER THE SUN ドキュメンタリー映画「太陽の下で」観てきました。(泣き)

 ロシア人監督のドキュメンタリー映画「太陽の下で ー真実の北朝鮮ー」を、シネマート新宿でみてきました。この映画をみると、かの国に生きる人々が切なくて泣けてきます。
 ロシア人の監督が、ピョンヤンの市民生活のドキュメンタリーを撮るという名目で北朝鮮当局の許可のもとカメラを廻し、そのドキュメンタリー撮影の「シーン」の背景も含めて撮影するという手法で「北朝鮮当局」のドキュメンタリー演出を描く「メタ・ドキュメンタリー」になっています。
 カメラに写る街並みは整然としています。たぶん、「革命首都」のピョンヤンであるからなのでしょう。また、思いのほか皆さん華やかな装いをしています(国内産の衣料が、あまり入手できず中国から輸入されたものがカラフルだからという説もあるようです)。みたところ街中ではトロリーバスも結構稼働していますし、日本製の自動車も沢山走っています。その一方で、小学生のこどもには「倭奴(ウエノム/帝国主義の日本人)や地主を金日成将軍が追い払ってくださった」みたいな授業をしています。ちらとですが三菱鉛筆ぽいものを使ってるこどもも写ります。彼らの中で「倭奴」や「米帝、南朝鮮と同盟する日本」と、街で見かけるクルマや日用製品をつくる「日本」がどのようにつながっているのかを聞いてみたい気がします(案外、日本製とは気づいていないかもしれませんが)。
 まあ、今回の映画で描がかなくとも、かの国の「ドキュメンタリー」フィルムには、「演出感」がありありと「にじみ出て」いるので、それを真(ま)に受けるひとは少ないと思うのだけれど、それでもこのような形であらためて克明にその「メタ」な状況がかいま見られるのは、興味深くはあります。
 ネタバレになるので詳細は省きますが、川村もラストのシーンでは涙が止まりませんでした。そして、「我々は彼らを笑えない。笑ってはならない。」と自らを省みて強く感じ、戒(いまし)めとしました。
 かの国のかれらは命を賭けて否応無く「ウソの世界」を生きています。振り返って我々はどうでしょう。テレビの「バラエティー」や自称「報道機関」のアレをマに受けるとか、耳触りのいい「ネットDE真実」でホントのことを分かったつもりになっていたりとか、自ら検証するという努力も無く、安逸に「情報」を求め、都合のいい解釈を「真実」として信じていたりします。かの国の彼らは選択の余地なく情報を強制されているわけですが、ひるがえって我が国に暮らす人々はまさに自分で選択できる立場にあるわけです。そして、自由な社会に生きるけっして少なくない人々が「アレな情報」をマに受け信じちゃってる状況がたち現れています。市民的自由が確保されているにもかかわらずそのような「ポスト・トゥルース」や「オルタナティブ・ファクト(笑)」が一定の力を持つ時代がほんとうに到来してしまいました。まったく醜悪かつ危機的です。
 ヴィタリー・マンスキー監督も、「朝鮮民主主義人民共和国」という「全体主義体制」を描きつつ、じつはロシア人に向けては「あんたらしっかりしろや。チェチェンやシリア、あるいはウクライナについてもっと良く考えたら」といいたかったのも知れません。

https://youtu.be/zzkoIExzfts
https://youtu.be/yAPf_77qBGc
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by poemaquince | 2017-01-30 23:39 | 映画 | Comments(2)

わたしの「東京オリンピックお・こ・と・わ・り」宣言 あるいは2兆数千億円のスペクタクル

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 みなさんは、国際オリンピック委員会(IOC)の「オリンピック憲章」を読んだことがありますか?わたくし川村はいまさらながらそれを読んででみて、びっくりしたわけでした。いやはやここまで露骨で上から目線なアレとは思いませんでした。
 ざっくりまとめてみると「オリンピックに関してIOCは絶対であり、放映料、ライセンスなどすべての売り上げの権利と決定権はIOC(規則24、50、58ほか)にあるが、その費用は都市(規則33〜)と組織委員会が責任をもってしっかりヤレ(規則36)」というものです。また、IOCの定款としてメンバー選出(16〜)や組織についてもいろいろ書いてありますが、いやこれもう21世紀にもなってこんな世界でやってるんだあ!という感じの利権集団ですよ。
 ついでに笑止なのはオリンピックやその他のエリアでデモするな(規則50)てなことまで書いてあります。おいおい。
 規則6では「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。」ともしっかり書いてはあるのですが、実情はご承知の通りです。規則6の理念を尊重するならJOCなり組織委員会なりが「にっぽんちゃちゃちゃ」とかいう「コール」に注意喚起するくらいはしても良いと思うのですが、そもそも問題の所在さえ認識されてはいないのでしょう。
 オリンピック憲章の詳細は日本組織委員会のサイトで、アレな具合を是非その目でご確認ください。↓
http://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2015.pdf
 てゆうか、クーベルタンも次のように吐露しています。曰く「スポーツはもっとも気高い情熱のみならず、もっとも卑しい熱情をも目覚めさせる。‥平和を促進するためにも、戦争を引き起こすためにも使いうるのである‥」(「IOC会報二号」/孫引きだけど)
 いわゆる近代オリンピックの理念は、スポーツに内在するその性格から、たえず「国威の発揚」との葛藤に引きずられています。それに加えてロサンジェルス大会以降はその露骨な商業主義による利権ビジネスの悪名が追加されます。
 オリンピックがいかに「平和の祭典」などと糊塗しようとも、現実には「国策プロパガンダ」や「ブラックビジネス」の舞台として機能してきた歴史は覆い隠せるものではありません。
 東京という都市が今回そこに2兆3千億円(概算)をつっこむ意義はどう考えても見いだせないのです。東京都にそれだけの政策リソース(お金と知恵)があるのであれば他に優先してやるべき事はたくさんあるはずです。起こりうる震災に対する医療拠点の追加とか、少子対策としての若者世代や子育て世代への生活支援、こどもの貧困への手厚い保護とか、高校生・大学生への就学支援とか。
 オリンピック憲章を読む限り、既にIOCの歴史的使命は終わったと感じます。誤解なきよう付言しますが、なにも「スポーツの祭典」そのものを否定しているのではありません。ただ、もう「国家的スペクタクル」としては、それを開催する必要はないでしょうし、業界の内輪団体を税金で儲けさせる必要もありません。アートに関するビエンナーレ、トリエンナーレとか、映画に関しての国際映画祭、あるいはスポーツのなんとか国際リーグ大会みたいにそれぞれ思い思いに楽しめばそれでよいではないですか。
 なので、わたくし川村も、「東京オリンピックおことわリンク」に連帯してつぎのとおり宣言します。
 孤立を恐れず、多くの未だ見ぬ「おことわり宣言者」との出会いを求めて、私は本日自らの「おことわり」を高らかに宣言する!
 「東京オリンピックなんていらない」と。

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by poemaquince | 2017-01-23 01:44 | 番外編 | Comments(0)

ボクちゃん総理のコドモ外交、あるいは「帝国の慰安婦」とポスト・トゥルース(事実・後)の時代

 2017年あけましておめでとうございます。
 お正月は朴裕河(パク ユハ)先生の「帝国の慰安婦」を「読書初め」してみました。
 この本が日本で出版され話題になったのは、かれこれ二年くらい前なのですが、お隣の韓国では、パクユハ先生がこの著書に関して検察に「名誉毀損の罪」で起訴されたりしています。この「慰安婦」をめぐる問題に関しては、お隣の国もかなり「硬直化」しちゃっているねとつらつら感じたりしていたところです。
 そんな中、また我らが「ボクちゃん総理」がやらかしてくれました。釜山領事館前の少女像に対する「大人げない」対応です。
 日帝時代の状況を一面的な観点から糾弾する急進的な若者グループが「歴史を反省しない(もと悪の枢軸の)反動日本」に対して行った「パフォーマンス」に対して、ボクちゃん総理がマジで反応しちゃって「ムキーッ、大使を召還させるざんすっ」と激怒したとか。日本の外交セクターは、「おいおいまたコドモ総理が出口戦略なしにパフォーマンスかよ。落としどころは<召還>じゃなく<帰国>で官邸と調整して!」とうんざりしていることでしょう。
 まともな「保守政権」であろうとするなら、相手方急進派のパフォーマンスに対して、黙って泰然と困り顔でいれば良かったのです。そもそも相手の政権はレイムダックで身動きがとれません。こんなときこそ大人の対応で相手に貸しをつくるのが保守政治家というものです(笑)。(てゆーか、もし、人権に対するコミットメントを大事にする別な人物が首相であったなら、そもそも日韓関係はこんなにこじれてなかったでしょうけど。)
 僕ちゃん総理のコドモ外交は、アレな支持者には受けが良いのかもしれませんが、日本の国益に関してはずいぶんな事になっています。ボクちゃん総理のナイーブな国家観や自慰史観のおかげで国際社会に対する我が国の「ソフトパワー」のポテンシャル喪失がじわじわ進行しています。
 ボクちゃん総理は対ロシアの領土交渉でも、「ウラジミール」とかファーストネームではしゃいでいましたが、女性ジャーナリスト(アンナ・ポリトコフスカヤ)暗殺やそのほかの政敵暗殺の噂の絶えないKGB出身の大統領と、いったいどんな「価値観を共有」したというのでしょうか。結局コロリとむしられたりしただけでした。そんな事にも気づいてか気づかないでか、ボクちゃん総理は「新しい時代を切り開いた」とかドヤ顔で語ってたりします。いったいこのアレな「三代目」大将は我が国をどこへ連れて行くつもりなのでしょう。きちんとした外交の判るブレーンとか軍師とかアドバイザーとかこのボクちゃん総理の廻りにはいないのでしょうか???
 そしてもうひとつの深刻な問題は、そんなボクちゃんの「自慰パフォーマンス」をありがたがって太鼓を叩く「アレメディア」や「アレ主権者」たちが思いのほか沢山いる(下司な排外ブログがPV上位になってるさ)ということでしょう。たしかに相手を白黒二分して「仲間」と「ワルモノ」に分けてしまえばアレ有権者の皆さんの胸にもストンと落ちるでしょう。また、「見たいものだけが見える」ネット社会の特性なのでしょうが、こういったアレな支持者の皆さんには、まともな「評論」や「批判」は無い事になっていて届きません。したがってコドモ外交の「自慰パフォーマンス」が「真の愛国的行為」という「トゥルース(真実)」に塗り替わっていってしまいます。まさに「ポスト・トゥルース」です。
 もちろん、それは我が国だけの傾向ではありません。
 たとえば隣国の「従軍慰安婦」問題についても言えそうです。元来、従軍「慰安婦」であった方々もひとりひとりそれぞれに固有の時代経験があったはずです。その体験を丁寧に掬って歴史の教訓とするべきだと書籍「帝国の慰安婦」にてパクユハ先生は語っておられます。それを一律な「挺対協史観」(※)に押し込めて日帝を糾弾しているだけでは本当の意味での「植民地時代の克服」にはならないといったようなことを訴える内容の本でした。なるほどここにもまた別なかたちでの「ポスト・トゥルース」があるといえるのかもと感じるのでした。
 人種としても民族的にも一番近いといえる日本と韓国が、(もちろん一刻も早い民主化・解放を願うの北の人々も含めてだけど)また友誼と信頼の関係が深まるよう願うばかりです。

注(※)挺対協(挺身隊対策協議会)は90年代に設立された韓国の慰安婦問題に関する支援運動団体。歴史的に多様であるはずの従軍慰安婦の姿について、挺対協が一面的に単純化して捉えているステレオタイプな従軍慰安婦像は、逆に問題の理解の妨げとなっているのではないかという問題の提起がなされている。
(追記:2017/1/11)
充分ご承知とは思うのですが「ムキーッ、大使を召還させるざんすっ」という発言は当ブログによる「創作」ですので念のため。
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by poemaquince | 2017-01-10 01:48 | 番外編 | Comments(2)

いいかげん「日本ホルホル」やめませんか?

 ユーキャンが「保育園落ちた日本死ね」を今年の流行語に選出したところ、隠れヤンキー系のタレントさんがツイッターにて「違和感」を表明したりしていると3Kシンブンが報じています。
 そもそもその他の受賞した流行語も含め、ほんとに「流行」したの?という本質的な疑問はいったん横に置くとして、「保育園落ちた日本死ね」に対するタレントさんからの「違和感の表明」には強い違和感を感じます。このツィートをされたタレントさんには、行政権力の執行機関(何故か大阪府警)の末端が発した「憎悪のことば」を明確に否定しない「府知事」や「担当大臣」についてどのように感じられたのか、ぜひ伺ってみたい気がします。

 この件ではもうひとつ、からっぽ「評論」の巣窟といわれる「アゴラ」系の空間にあふれるマトハズレな批判、たとえば「「日本死ね」という言葉が公共空間に飛び交う不気味さ」http://agora-web.jp/archives/2022971.htmlなどの「日本無謬(むびゅう)の言説」にも辟易です。
 そもそも論者の発想が「保育園落ちた日本死ね」=「日本を貶めるもの」という歪んだ前提から出発しているので、ご本人はまわりが見えておらず、有効な論に到達できてません。なぜか、ナチを引き合いに出して頓珍漢な論理を展開していますがその論旨は中学生並みです。まあ、たわけたオサーンが100PVくらいのブログでのたまっている分にはかまわないとは思うんですが、実際にはそこそこのPVを稼いでしまっています。(現時点12/3でアクセスランキング1位!ですね)
 問題は、こういったぬるい「評論」(っていうかほとんどデマゴギー)のたぐいが何故か無料のニュースアプリとかに多数採用されているという現状です。この手のデマに近いバイアス記事の浸透が、スマホでしか社会をしらない若い人たちの意識の形成に一定の影響を与えてしまっているのではないかとの懸念を強く感じています。そして(そこそこ歳はとってる)日本ホルホルな人々のバイアスの補強にも一役買っていることについても論をまちません。
 ニュースアプリのビジネスモデルはよく知らないのですが、3Kシンブン(や系列のizaやZAKZAK)のヨタ記事とか、この「アゴラ」とかの空っぽな「評論」とかを、ニュース記事配信として数多くみかけます。
 たまたま「日本ホルホル」大好き系のユーザクリック数から選択されて表示されてしまうのか、あるいは「見えない」スポンサーがいて「大人の事情」で表示されるのかよくわからないのですが、その辺のご事情をご存知の方がいらっしゃいましたら是非ともご教示いただけたらと存じます。
 そういえば、この「エキサイトブログ」に於いても下司な「排外ブログ」が上位PVを占めていたりします。もうほんと、我々の「自由で寛容な日本の社会」を貶めるような「排外ブログ」は、早々にご卒業されるよう執筆されている方には気づいてほしいと強く願うばかりです。
 いやはや、マッコードラジエーター社のM-1シェルとかについて書くつもりがこんな話になっちゃいました(笑)。ほんとにもう、どうしちゃったんだろ日本??

(コメントに対する返信)
お返事のコメントが長くなりましたので、欄の文字数の関係で本文のほうに追記させていただきました。以下、コメントに対するお返事です。
//////////////////
Tさま
 コメントありがとうございます。
 Tさんは、「保育園落ちた日本死ね」の全文はご覧になりましたか?わたしは、今年の2月か3月頃にそれを読んでイタく「感動」した覚えがあります。
 その匿名のグログを野党政治家が国会質問で取り上げ話題となったわけですが、その後かなりの反響が巻き起こり、待機児童問題に世間の関心が注がれました(一瞬だったけど(笑))。
 まっとうに日本(の社会)を心配し、憂える人々のあいだでは、この超少子高齢社会の行く末というのは、非常に深刻なイシューのひとつであり、我が国喫緊の課題であるわけです。ところが歴代政権の政治リソースの配分は高齢者への投入が優先され、表裏一体であるはずの少子社会の問題は顧みられてきませんでした。
 そこに、このブログ投稿が話題となったわけでした。
 http://anond.hatelabo.jp/20160215171759
 保育園の選に漏れた絶望と、どうでも良いぬるい事がらに金を突っ込んでる日本の政治への怒りがひしひしと伝わってくる叫びです。「死ね」という言葉は、私は全く使いませんが、読んでいただければ判るとおりこの文脈での用例は、ネットジャーゴンとしてはかなりポピュラーな使い方なのではないでしょうか?
 にもかかわらず、子育てもされている?タレントさんが、的外れな「つぶやき」をされている事にはやはり違和感を感じています。「汚い言葉」が宜しくないというのであれば、まずはオキナワでの「憎悪のことば」について擁護する「政治上の責任者たち」について「ツィート」するべきだったでしょう。
 さて、といったような前振りのうえで、Tさんのコメントについての見解をのべさせていただきます。
>日本の政治家ともあろうものが恥じるでも憤るでもなく、笑顔で受賞するのには、違和感を覚えるのは当然かと。
→縷々説明させていただいたとおり、政治家本人が「受賞」したわけでなく、ブログの言葉に象徴される少子化対策、児童待機問題について国会質問で取り上げた当事者として登壇したもので、恥じたり憤ったりする必要もないですよね。
>その発言に対し危険思想とレッテルを貼り謝罪させるのがリベラルなのか。
→「危険思想とレッテルを貼り謝罪させる」??そんな必要はないとおもうけど。てゆーか誰が???
>自由で寛容とは何なのか。
→人権が尊重される多元的な社会、社会的少数派であっても権利が擁護されること。
>少なくとも死ねなど過激な言葉を取り上げて扇動するのは政治家として間違っている。
→「死ね」などと「煽動」??そんな政治家がいたとしたらほんと間違ってるよねえ。「今この場で心からの敬意を表そうではりませんか」とマジで煽動した政治家はいましたけどもね。

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by poemaquince | 2016-12-04 01:28 | 番外編 | Comments(1)

米中二大帝国が太平洋を分割支配する日(泣)

2016年11月9日、お昼過ぎ、あれれ?喫茶店のテレビでは選挙人の獲得数でトランプが先行していました。TVのアナリストは西海岸まで東西4時間差があるので共和党の先行は通常のことなどと解説しています。ランチを食べながら、川村もそのアナリストの解説になるほどそうなんだと納得していました。ところが、その後、ちょくちょくTVの速報をみてもヒラリーの選挙人の数は追いつきません。そして夕方つけたテレビではトランプ氏が勝利宣言をしています。逆転の奇跡は起こりません。間もなくして米国大統領は共和党候補のトランプ氏に確定と報道されてしまいました。あわわ、動揺のあまり机の上のお茶のマグカップを落として割ってしまいました。
英国に引き続きアメリカ格差社会のルサンチマンの噴出を目の当たりにした気がします。

この選挙結果が暗示するところを考えると憂鬱です。米国政権の交代により、今後日本を取り巻く安全保障の環境が変化し、それに引きずられるように日本の世論が硬直化し、国家主義的に勇ましい排外的で反グローバルな勢力が日本でも勢いづきそうです。すでに「ネット言論」では、「いまこそ対米従属からの”自立”だー」みたいなコメントが散見されます。そのことは、いま、今日、この時点で繰り返ししつこく指摘しておきたいとおもいます。
「パックス=チノ=アメリカーナ」の時代で安定するのならばそれはそれでよいのですが、台湾などを巡る問題を考えるとそれも困難に思えます。
それどころか、トランプの新ホワイトハウスは、中南海と取引し、太平洋でのプレゼンス(ショバ)を二分するということでナシを通す可能性もありそうです。そのことに動揺(あるいは「オレらニッポンがアジアの盟主だーっ」と我慢ならない)日本のアレ政治家が、稚拙な世界観と”ぬるい”強硬策を振り回し、世論は、自称「保守派」の煽動に引き回されて硬直化・非寛容化して日本の社会が「ディズマー社会」に変質してしまいそうです。今回のこの投票結果は「円高とか円安とか」どころでない深刻な影響を未来にもたらすことになるかもしれません。川村の一連の予測が杞憂であるように祈るばかりです。はあぁ(ため息)

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(c)20TH CENTURY FOX / BBC NEWS
「ザ シンプソンズ」がホントになっちゃった?!
The Simpsons has raised the idea of a Trump presidency several times
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by poemaquince | 2016-11-11 00:59 | 番外編 | Comments(2)

映画「シン・ゴジラ」観て考えました。(番外編)

 さて、前回はドキュメンタリー映画「日本鬼子」を観てつらつら思った事を書いてみたわけですが、今回は超弩級虚構映画「シン・ゴジラ」を観て感じた事を書いてみようと思ってます。いわゆる「ネタバレ」を含むのでこれから見ようと思っている人はまだ読まないほうがいいかもしれません。

 観終わったあとの感想第一声は「いやこれ福島原発のメタファーってゆうかパロディじゃね?」ってことです。「?」が「確信」に変わったのが、ヤシオリ作戦でゴジラへ「体液凝固剤」を投入する生コンポンプ車?(何て呼ぶ建機車か名称判りませんが)見たときです(笑)。3.11の注水車とおんなじです。まあ、水路を遡上するゴジラ(幼態)とか、ゴジラの通ったあとのがれきの山とか、3.11を彷彿とさせるシーンは至る所に出てくるのだけど。そして、凝固したゴジラはまさにフクシマ原発とそのまま重なります。ネットで検索すると、やはり皆さん似たようなことを感じて書かれている方が結構おられます。
 感想第二は、トロンビンとか血液凝固剤とか言ってたけど、経口投与か!!てゆうところです(そんなんで効くの?)。役所の伝手(つて)で民間プラントを総動員して凝固薬の必要量は確保できたんだけど、どうやって投与するんだろう?とハラハラしてたのに。そしたら上記のとおり。ヤシオリ作戦雑過ぎ(笑)。がれきの中、装輪の「生コンポンプ車」はゴジラにアクセスできないって!まあ、虚構にツッコんでも仕方ないのですが、映画前半の描き方がすばらしかったので、映画後半の展開には期待しすぎていました(笑)。在来線爆弾とかヤシオリ作戦の伊福部マーチで、「パロディーテイスト」満開です。
 そして、やはり傑作なのは、「災害」発生時からの政府対応シーンでしょう。東京湾横断道路の謎の陥没事故からの展開が秀逸!役所の会議の「バタバタ感」がハンパない描写で笑えます!東京都の災対会議のシーンも再現度が高い!東京ロケーションボックスで本物つかった??
 後半で印象的なのは、立川の災対基地で、政権与党の若手政治家二人が出世とかなんかのヨイショ談義をしてて、まあ、それはそれで泥臭くていいんだけど、そのあとヤシオリ作戦に出撃する現場の隊員に訓示なんかする場面なんだけど、さっさと立場変えて「この国の未来が云々」(みたいな??まあ、そんなかんじのいわゆる感動的なことがら)なんかで檄っちゃって、「ああ、隊員達は命かかってるのに、このひとたちは安全なところで指揮命令してんだろうな」とか感じてしまうのでした(まあ実社会でそういった豹変は大事なんだけどね)。この映画は、われわれ日本人は、あの3.11をこのようにやり過ごし、そしてアレは、いまだ宙ぶらりんにあそこに「固まっている」だけなんだよ。ということを見事に示しているのでしょう。
 いやー,庵野監督、上手い!!
 映画みる前は先入観をもたないようにとネット記事とか読まないようにしていたのですが、観おわったあと、他の人はどんな感想なのだろうといろいろ検索してみました。まあ、いろんな見方があっていいとは思うんだけど、あまりにアレなご意見(テーマは安全保障だ!みたいな(笑))も散見されたりします(おやおや)。
 あと、無人ボートに残された「春と修羅」とか、最後のカットの尻尾の「人型?」とか、全く気づかず(いや冊子は気づいたんだけど文字が読めなかった)見落としていました(こういったとき視力が低いのはつくづく不便です)。もいっかい観ようかな。
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by poemaquince | 2016-09-02 00:23 | 映画 | Comments(0)

チェ・ドンフン監督、日帝統治下の京城が舞台の映画「暗殺」観てきました。(ネタバレあり?)

 日帝統治下の抗日運動という題材は、個人的にもぐっときてしまうテーマなのですが、いやこの映画、泣きあり笑いありのエンタテイメントで面白い!! 
 例によって新宿シネマートの小さいほうのスクリーンです。午前9時台の上映だからあまりお客さんいないのかなと思っていましたが、日曜だったためかそこそこの入りです。おまけに韓流ファンのひとたちなのか女性も多い。日韓関係が硬直化しているなか、「韓流」も一定程度定着しているといえるのでしょうか?でも、以前と比べた新大久保界隈の凋落をみてしまうと安心もできないわけではあります。 
 さて、物語のプロローグは1911年の京城の事件から始まります。それから、大戦後(光復後)(たしか1947年頃)の「民族反逆者調査委員会」(みたいな名前、正確には忘れた!)のシーンを挟んで、1933年?金九の指導する亡命政権からの暗殺指令が物語の本編につながっていきます。
 満州に展開する抗日パルチザン部隊からは、上官殺しで隔離審査中の女性狙撃兵がリクルートされます。彼女(チョン・ジヒョン扮するアン・オギュン(安玉均?))の火器は赤軍からのものなのか?ながーいモシン・ナガンで、おまけに狙撃兵なのに近視!です(ぐっときます)。
 上海のフランス租界のシーンも泣けます。アン・オギュンは、ホテルミラボーのカフェで生まれて初めてのコーヒーを飲んでいます。横暴に騒ぐ「大陸浪人(日本人のです)」が通報され、カフェにフランス租界の警察が取り締まりにやってきます。あわやのところでアン・オギュンを正体不明の男(ハン・ジョンウ)が機転を利かせて助けたりします。(出会いです!)
 そして、上海の町並みの描写がすばらしい。半分はCGで描き足しているのかもしれませんが、雑然としたモダンさにあふれた雰囲気がでています。また、ソウル(てゆうか京城)の雰囲気も同様にすばらしい。路面電車、日式看板、乗用車、石造りのモダンな建物と木造建築、時代の雰囲気がでています。三越百貨店や「カフェ・アネモネ」のシーンなど、帝国主義の支配は、一面では「都市という文化の近代化」の側面もあったのだなあという事が感じられたりします。そして、ハン・ジョンウ扮するなぞの男は、日本語をネイティブに話せる(物語の設定上)ことから、たぶん日本への留学組という設定なのかもしれません。(1930年代にすでに成人している人物は、その時点ではまだ「徹底した皇民化教育」は受けてはいない世代と思われます。むしろそれ以前に、日本の大学などへ留学し、民族主義あるいは社会主義などの影響を受けた人物という設定だったのではないでしょうか。)
 この映画についてもう一点、指摘しておきたいのは、特定の民族にステレオタイプな役割を押し付けていないということです。この点が、きわめて良質のエンタテイメントとして安心してみていられる重要な条件なのではないかと感じました。もちろんカタキは出てくるのですが、それは日本人に限らず、いわゆる「買弁資本家」的な民族資本家や、対日協力者だったりします(もちろん彼らにも彼らなりの言い分があります)。あるいは、「朝鮮独立」を支持し命をかけて闘争を手伝ったりする日本人(カフェアネモネのバーテン青木さん?だっけ)も登場します。また、光復(解放)後の「民族反逆者裁判」についてもその醜悪さや限界をしっかり描いたりしています。
 活劇あり、萌え系めがねの狙撃手あり、ダブルエージェントの裏切りあり、娘と家族の葛藤あり、結ばれない切ない恋ありのエンタテイメントとして楽しめると同時に、(お話はフィクションではあるのですが)日本/朝鮮近代史の一側面を感じられる映画でもあると言えるでしょう。
 なんといいますか、まるで夭逝してしまった天才漫画家、湊谷夢吉先生の作品、例えば「魔都の群盲」の世界を思い出します。先生が生きていてこの映画を観たらきっと絶賛した(あるいは悔しがった?)かもしれません。
 これから順次国内で公開されるようです。アジア近現代史に興味のある方は是非ご覧いただく事をお勧めします!
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追記:上に記した「帝国主義の支配は、一面では「都市という文化の近代化」の側面もあったのだなあ」というような雑感について、的確な分析をしているHPがありました。ヌルボ・イルボさん?のページです。非常に興味深いので是非ご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/db0983fb268595b0b5b9c6042d02593a
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by poemaquince | 2016-08-22 23:05 | 映画 | Comments(0)

天皇の「お気持ち」発言に対して「日本会議」系御用文化人(?)の反論がひどすぎる件*

 趣味の「軍もの関係」のブログにて、何でこんなこと書いてるんだろと、嫌悪感に苛まれ、あるいは自嘲しながら、それでも危機感に突き動かされてぐだぐだ書いてしまっています(笑)。
 振り返ってみれば、2012年の自民党総裁選で、せめて石破茂が勝っていたらこんな体たらく(のブログ)にならなくてすんでいたのではないかとさえ思えてしまいます。
 日本の(自称)「保守政治家」の皆さんは、なぜか「保守主義」とはほど遠いイデオロギーにより、日本の社会を劣化させ、安全保障をドブに捨て、国益を毀損させています。彼らのいう「保守」とは、一般的には「国家主義」とか「復古主義」とか「歴史修正主義」とか呼ばれる類いのもので、いわゆる「保守主義」とは異質なものでしょう。
 同じく、彼ら(や日本会議系)のいう「日本の伝統」とは、明治政権が「近代化の方便」として創りあげた意匠であり、例えていうなら「浅草ふきやの吊るしのドイツ軍制服(分かりにくい例え(笑))」とか「ロスコのM-51(これならピンと来る?)」とかみたいなものであり、オリジナル(実物)とは全く異なる、ありていに言ってしまえばそんなものは日本の伝統とは似て非なるものということになります。
 さて、今回、明仁(あきひと)天皇があえて「お気持ち」を表明した訳ですが、このことに対するニッカイ(日本会議)系御用文化人の反応がまるで破綻してて、かつ失礼でサイテーです。曰く「お気持ちは良く分かったが、伝統はもっと大事だ(要旨)」と。まあ、ここで持ち出してくるいわゆる「伝統」が、例によって近代に創られた「天皇が帝国の主権者だった時代」の似非「伝統」なわけで、論理としてもどうよというレベルです。そんなことより、象徴天皇制に関してはアレ政権が棚上げした女性宮家の問題など、皇嗣問題を放置した責任を反省することが先決でしょう。
 「アレノミクス」とか称して、大手が潤えばその余剰がトリクルダウン(滴り落ちて)でみんな豊かになるという約束もいつまでたっても滴り落ちてこない(笑)し、日銀なんとかバズーカの金融政策??の足元も見透かされて元の木阿弥になったりしています。おまけに日本製兵器を海外に売って商売の足しにしようとかいう思惑も、イスラエルをパートナーにドローンの共同開発を模索しているとか、安全保障の国益を無視したあまりにスジ悪な案件が進捗したりしています。
 アレ政治家のぬるい哲学と無知から、過去に学ばず未来を見通せず、先人が築いて来た「平和国家」のブランドをあまりに安く売り渡してしまいました。 
 日本の主権者は、景気対策という「ジンギスカン」を食べようとして狗肉を買わされちゃった訳なんだけど、「景気対策」に期待して投票したはずの一票が、自由な社会の首を絞める一票にいとも容易く転化しようとしています。そしてその結果は日本に住むひとりひとりが被る事になるでしょう。
 なんども書きますが、台頭する巨大な「プロ独」帝国(や、首領様のディズマーランド)に対抗するためには、「巨大なハードパワー」(とそれを生み出すための「太陽の帝国」)ではなく、「そこそこのハードパワー」と「寛容で多元的な社会(ソフトパワー)」の組み合わせにしか活路はないのです。
 ところがアレ政権は「歴史修正主義」「復古主義」「国家主義」を振りかざして本来の「保守主義」とは異質の「太陽の帝国」路線を進んでいます。
 今からさかのぼること4年前の2012年が、シンタローの尖閣諸島問題への放火と、アレシンゾーのJM党総裁選の逆転勝利により、黒歴史の最初の分岐点だったと後世の歴史家から回顧されることのないようにマジで願うばかりです。

 中世NIP帝国(だっけ?)の旗だそうです。まさに「太陽の帝国」ってところです。
 追記:「中世ジャップランド」でした。ネット上のgifファイルをコピペさせていただきました。
 意匠の始源は嫌儲のみなさんによるものです。
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by poemaquince | 2016-08-10 02:18 | 番外編 | Comments(1)