M-51Parkaに関する2,3の事柄

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今の日本と重ねてしまう映画「否定と肯定」(DENIAL[否認])観てきました。

 いわゆる「法廷もの」としても楽しめるけど、現代に於ける「歴史修正主義」への抗(あらが)いの「しんどさ」について様々な視点から考えさせられました。ネタバレ?を含むかもしれないので、これから見ようと思ってるヒトは、観終わったあと読んでいただければ幸いです。
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 さて、判決は被告(主人公)の勝訴で終わります。映画で描かれるその法廷戦術は、原告アーヴィングの「人種差別主義」「性差別主義」っつぷりをあぶり出すことによってその主張の信頼性を挫くというものでした。嘘はだめ、差別はだめという市民社会での「コモンセンス:共通認識、規範意識」を前提としたものです。
 訴えられた主人公(リップシュタット)は無罪となり、原告アーヴィングの訴え(名誉毀損)は認められません。映画の観客はそこで物語のカタルシスを感じて安堵するのですが、映画のラストシーンはまだ続きます。敗訴したアーヴィングがTV番組に登場して判決の「誤り」を述べたてています。そしてその番組を見ていたリップシュタットの弁護士が彼女に「実際に勝ったのはアーヴィングだ」といって映画は終わります。
 この映画をみながら、我が国のいまの社会状況を重ね合わせてしまうことがたびたびありました。
 現実の社会に於いても、その後の欧州や、米国に於ける「不寛容」な政権の登場、あるいは日本に於ける「歴史修正主義」史観に親和性を持つ政権の登場など、いわゆる「歴史修正主義」が退潮している傾向はみられません。
 そして、何故か「修正主義歴史観」の傾向は、我が国では自称「保守主義」者(もしくはネトウヨ、または総理大臣)、欧州では「ネオナチ」などにみられます。
また、映画は、たとえば観客に次のような問いかけもしてきます。
 ●歴史に於ける自己の立場性について、もし自身が大戦中のドイツ市民であったら、ユダヤ人の迫害というその狂気に抗うことができたか
 ●法廷戦術について、証言を希望する当事者(収容所から生還した)の願いを尊重するか
 
そして、観終わったあとも想念はさまざまに広がるのでした。

《閑話休題》
最近(?)観て来たその他の「あの時代をテーマにした映画」についてのひとこと
〈密偵〉コン・ユかこいー。日帝側の人物ももう少し掘り下げてほしかった。個人的には「暗殺」のほうがグッときました。
〈ハイドリヒを撃て〉暗殺作戦の実行により無辜のプラハ市民が1万人殺されてしまう。チェコ亡命政権指導部の責任は重いと思った。ろう城のクライマックスで銃撃戦アクションは最小限でよい気がする。あと邦題「ナチの野獣暗殺作戦」って、何とかならない?「エンスロポイドーハイドリッヒ暗殺ー」くらいで良くね?
〈永遠のジャンゴ〉21世紀の映画で字幕が「ジプシー」っていったい。劇中では自らシンティって言ってたシーンもあったよ。
〈ダンケルク〉これってタダの「英雄譚」じゃね?つまらなくはないけど。
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by poemaquince | 2017-12-11 23:52 | 映画 | Comments(0)