M-51Parkaに関する2,3の事柄

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Mー51パーカ(モッズパーカ)初期とか後期とかのこと

 このブログのひとつのテーマとして、M-51初期型の「謎」をずっと考察していたわけですが、まあ、謎はなぞのまま残されている訳です。
 整理してみると
1)MIL規格MIL-P-11013(QMC)の初版からコットンナイロンオックスフォード(5オンス)を指定しているにもかかわらず、51年5月コントラクトではコットンの厚生地が観察されること
2)MIL規格初版から、厚い「大型袖ボタン」を指定しているにもかかわらず、薄い袖ボタンが観察されること
3)MIL規格初版の添付図や寸法表などで指定する裾のドローコードの取り出し(左側)が通常のよく観察される製品と異なり短い仕様であること(参照http://parkashell.exblog.jp/10921248/
 などが挙げられます。
 また、同年度の7月コントラクトでは、すでにコットンナイロンの薄生地仕様の製品も確認できるため、厚生地であることをもってのみ「初期型」とするのは誤解が生じてしまうと考えます。厚生地の全例が(現時点では)51年5月コントラクトのため、暫定的に当記事においては”5月モデル”というような呼び方にしてはどうかと考えています。
 また、MIL-P-11013(QMC)で図示される、裾のドローコードの取出し位置が短いタイプについては(現物は一例しか確認できていませんが)”極初期タイプ”と呼称したいと考えます。
 60年代に入り、明らかな特徴を持った一連の製品が観察されます。生産時期から概ねコントラクトが、DSA(ディフェンスサプライエージェンシー)経由となっているため、これらを最後期型として”DSAモデル”と呼びたいと考えています。

 今回、片付けの最中にたまたま出て来た、いわゆる「厚生地タイプ」(51年5月モデル)と、最後期型の60年代型(DSAモデル)を比較して写真を撮ってみました。(以前にも似たようなことしている気もします(笑))。
 60年代型M-51パーカ http://parkashell.exblog.jp/10555798/


 両者の全景
 右:51年5月モデル
 左:60年代型DSAモデル
 細部を除き、大幅な変更は観られない。
 ただし、サイズ(肩幅、身幅)が見直され、DSAモデルはひと回り細くなっている点に留意。
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 袖の大型ボタンの比較
 右:51年5月モデル(薄型汎用)
 左:60年代型DSAモデル(成形色がグリーン)
 下(真ん中):標準の厚型ボタン
  薄型の大型ボタンは比較的「初期」生産の個体によく観察されます。
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 同じく標準の厚型ボタンを裏返したところ
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 同じく標準の厚型ボタンを横から見たところ
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 エポレットやライナー取付に使う19mmボタン
 右:51年5月モデル(DSAモデルを除く全ての型で使用)
 左:60年代型DSAモデル(いわゆるファティーグボタンでつやつや)
   このボタンを使用している個体はほぼ60年代「DSAモデル」であると考える。
 ボタンだけでなく、コットンサテン(右)、コットンナイロンオックスフォード(左)の織りにも留意
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 この今回のDSAモデルの個体にはサブデュードのU.S.ARMYディスティングイッシングインシグニアが付いていました。60年代後半に使用されていたということでしょうか。
 上段:60年代中盤から観察されるサブデュードのARMYインシグニア
 下段:50年代〜60年代を通じて観察されるARMYインシグニア
 旧タイプの識別インシグニアは、調べてみたら53年7月〜70年のサブデュードに置き換わるまで着用が認められていたようです(結構、期間が長いので一寸びっくりです)。
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 フロントファスナーの比較
 初期から後期まで観察される、一番ポピュラーな「コンマー」アルミの写真がありませんが(笑)
 右:5月モデルについている「タロン」のアルミ
 中:初期に生産されたと思われる薄生地個体の「コンマー」ブラス
 左:60年代型DSAモデルに付いている「クラウン」ジンク
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 「タロン」(アルミ)、「コンマー」(ブラス)などは、比較的「初期」のタイプによく観察されます。ただし、「クラウン」も少なくとも52年コントラクトには使用が確認されています。また、EX-48-1パーカなどにも観察されるようなので「クラウン」だからといって時代が下るようでもなさそうです。
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 後期モデルは肩のプリーツが省略されている。
右:60年代型
左:51年5月モデル
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by poemaquince | 2015-12-07 23:46 | parka | Comments(0)

映画「宋家の三姉妹」観てきました。(番外編)

 先日、「午前十時の映画祭」で「宋家の三姉妹」を観てきました。(対の番組はベルトルッチの「ラストエンペラー」です。ほんとは立川でこちらを先に観ようと思ってたのですが、座席の高低差のあるシネコンで観たほうがストレスが無いと思い、先に新宿の東宝シネマズで「宋家皇朝」を観ることにしました。「宋家」も「ラストエンペラー」もどちらも中国の近代革命と日本帝国主義の時代がテーマの背景です。
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実際の三姉妹
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 予告編に続き、本編はなつかしいゴールデンハーベストのロゴから始まります。香港と日本の合作で、映画公開当時の1997年はまさに香港が中華人民共和国に回収されんとしていた頃です。
 映画は有名な孫文夫人「宋慶齢」(次女)、蒋介石夫人「宋美齢」(三女)、と財閥へ嫁いだ長女「宋靄齢」(そうあいれい)の三姉妹の一代記です。
 この映画を観て、前々からの疑問のひとつが解けました。それは、姉妹なのに孫文と蒋介石というどう考えても世代の違う人物のそれぞれ夫人であったということで、年齢が合わないのではないかということです。(映画を観るとああそうだったんだ!と、得心します。)もう一点、興味深かったのは蒋介石についての描写です。映画が制作された97年の当時、中国本土では、蒋介石は有無を言わさず「天下の大悪党」という描き方しか無いと思うのですが、中国へ回収寸前であった香港映画人の矜持なのか、蒋介石も比較的「公平」に描かれていた気がします。もちろん、蒋介石の国民党が、党内の共産主義者を弾圧し、また、日本帝国主義の侵略に抵抗して戦うより共産党との内戦を優先しているような描写などは「まあ、史実としてそうだったのだろうな」と日本の観客(の私、川村)も思ったりしたのでした。
 ところが、映画を観た翌日、なにげに読んだ遠藤誉先生のウェブ連載記事に驚くことが書いてありました。(遠藤先生は中国情勢について鋭い分析をされており、いつも興味深い情報を発信されていますので信頼しているシード記事のひとつです。)国共内戦(というか国共合作)期について、中国共産党こそが、抗日ではなく国民党との内戦を優先し日本軍に国民党軍の情報を売っていたというのです。
 また、そののち遠藤先生の新刊「毛沢東ー日本軍と共謀した男ー(新潮新書)」などを読んでみると当時の「国民党」と「共産党」の関係・構図などが良くわかります。中華人民共和国の凄まじい政治(闘争)について、再認識したのでした。
 それにひきかえわが国のアレ首相の外交のなんとぬるいことか。3Kシンブンあたりが自賛していることがらのなんと的外れな視点か。外交ネゴ(アレ用語でいう「歴史戦」)は歴史「原則」をふまえた「大義名分」の押し引きのはずです。
 アレ首相の「懐古趣味」とか「美学」でいくら日本帝国主義を擁護美化しようとも、それは終わった(しかも負けた)ゲームについて、「いやあれはファウルだった」とか「ほんとはオフサイドだったからゴールは無効」とかいつまでも言っているようなものです(もちろん、後世から振り返って歴史のディテールを復元/解釈することに異存はありませんが)。そんな子どもの「言い訳」のような話ばかりをして、突っ込まれる口実を相手に与えてしまっているという自覚はアレ政権にはありません。
 自由と人権と平和主義という原理原則を武器に、大国の覇権をたしなめることをしないアレ外交が問題なのです。日本国憲法を憎み、大日本帝国憲法を懐古し、哲学と理念のない稚拙な歴史観の国家主義者が、70年間の平和と言う実績を取り崩し、日本の未来を切り売りしているというのが現時点でのこの国の姿なのです。(あれれ、映画の話だったのに、すみません。)
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by poemaquince | 2015-12-05 22:01 | 映画 | Comments(0)