M-51Parkaに関する2,3の事柄

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1980年5月光州 韓国予備役部隊のファティーグ

 今年は、ダックハント柄( duck-hunter / leopard )が「きてる」ということなので、こちらのアイテムをチェックしてみました。ボタンの形などがレトロだったのでもしや60年代ものかも!と入手してみたのですが、ばっちりスタンプが残っていて80年の製品ということでした。いまから30年以上前の製品です。
 「あー80年製なんだ・・・、80年?韓国!光州!!」
 1980年の韓国といえば、5月光州が思い出されます。韓国現代史において、光州事件ははまさに時代のメルクマールでありました。光州において、全斗煥のクーデタに抗議するデモ隊の学生が戒厳軍に殺され、怒った学生、市民の一部が予備役の武器庫を襲撃し武装して市庁舎などに立てこもります。結局、正規軍に鎮圧されてしまうことになってしまったのではありますが、その後、民主化した韓国において民主化運動の先駆として再評価されます。もしかしたら立てこもった市民のなかにはこのファティーグを着ていた人もいたかもしれないなどと思いを馳せたりします。
 お隣の国、韓国では今日でも兵役があり、成人男性のほとんどは軍事訓練を積んでいます。ネット上の歴史講談や軍事情報を鵜呑みにして息巻いている日本の嫌韓ヲヤヂとはそこが異なってるのかもしれません。(いやどの国にも幼稚なネトウヨはいるんだけどさ)

60年代〜80年代にかけて、主に韓国郷土防衛隊(予備役部隊)が使用したパターン
(予備役とは兵役期間終了後の一定期間、有事に動員されることになる人々のこと。 韓国では、今日でも全成人男子に2年近くの兵役が課せられ、その後数年の予備役期間が設けられている。)
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レトロで見慣れないボタンだったため、もしや60年代もの?と思ったがスタンプには80年12月のスタンプが・・・
生地はコットンのヘリンボンです。
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スタンプは左身頃すその内側にありました。年代の他はなんて書いてあるか分かりません(笑)。
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右胸にネームタグ キム ムングェンさん? 左の赤いビニルには ミョンギル トンデ?ソウルの町名かな?
襟のサイズタグが共布であることに留意(通常は普通の白布がついてることが多い)
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武装準備する光州市民!
人物のヘルメットカバーに留意
左側の人(ダックハンターパターン)
右手前の人(ヌードルパターン)
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似たようなテーマについて、興味深い記事がありました!!
非常に参考になります。
http://checksix.militaryblog.jp/e460387.html
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by poemaquince | 2014-07-21 00:08 | 番外編 | Comments(0)

クメール・ルージュの教訓(涙) 映画「消えた画」観てきました

 2014年7月、渋谷ユーロスペースにて映画を観てきました。渋谷はあまり慣れないのでちょっと迷います。井の頭線渋谷駅から円山町方面へ抜けるのですが、ラブホ(とライブハウス?)街の真ん中になんとかたどりつけました。
 今回の映画はリティ・パニュ監督「消えた画 クメール・ルージュの真実」です。
 
 カンボジアに生まれた監督の少年時代 一家はプノンペンという都会に住み、父は教師、一族が集まっての宴などの開かれる、のどかで恵まれた生活の記憶が語られます。1975年4月、カンプチア共産党(クメール・ルージュ/ポル・ポト派)が内戦に勝利すると、少年だった監督の一家は「革命の敵」として、貨車へのせられ地方へと送られます。首都プノンペンに住んでいた住民は全て農村へ送られ「全ての人民が生産に従事する平等な社会」の建設が始まるのです。
 当時のクメール・ルージュの宣伝フィルムと、カンボジアの大地の土から作ったクレイ人形を使って監督の記憶のなかにある「画」で当時を再現していきます。少年の過酷な体験、オンカー(党/組織)の支配が淡々と語られます。
 左であれ右であれ、全体主義を導いてしまうイデオロギーになぜ人は絡めとられてしまうのか。全体主義の萌芽を見分けることができるのか。映画をみながらうつらうつら考えます。映画で、クメール語(?)のインターナショナルが流れてきます。ここにもまた「あらかじめ失われた革命」があると胸をつかれるのでした。それも70年代に!

ユーロスペース入り口(3階になります。)
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円山町のラブホ街の一角にあります。
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クメール・ルージュ兵の出で立ち
黒い農民服、中国製緑色軍帽(人民帽)、ギンガムチェックのマフラーそしてカラシニコフ
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(C) CDP/ARTE France/Boophana Production

民主カンプチアの国章のまえに並ぶ「自由ないでたち」の新人民
何人が生き残ったのか。
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(C) CDP/ARTE France/Boophana Production

この人がポル・ポト(サロト・サル)
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 映画では当時の歴史背景や、クメール・ルージュについての説明はほとんどなされません。あくまでざっくりですが映画の参考にカンボジア(カンプチア)のあの前後の時代についてメモっておきます。(これだけ読んでも余計分からないかも)
 1970年、CIAに支援されたロン・ノル首相のクーデタに対抗するかたちで、シハヌーク国王を中心とする「王国民族連合政府」による「解放運動」(内戦)が始まります。また、域内へは当時の北ベトナムも「解放勢力」として軍事力を行使したりしています。内戦の過程で、それまで協調的と見えたクメール・ルージュが、カンボジア解放に向け共闘して来た民族派や穏健な政治グループを粛正してしまいます。上述のとおり75年には首都プノンペンを掌握し、クメール・ルージュが極端な「農業集団化政策」や通貨の廃止、プチブル階級(新人民)の抹殺など恐怖政治を実施します。(当時、外部ジャーナリストを遮断していたため国内の実情はほとんど伝わらなかったといわれています。)しかし79年にはベトナムに支援されたヘン・サムリン(じつはこの人も元クメールルージュなのですが)の新政権がプノンペンに樹立され、クメール・ルージュの恐怖体制は終焉し、ポル・ポト派は北部国境地域へ逃亡したのでした。



たぶん90年代初頭のNHKの番組と思うのだけど、分かりやすくまとまっているので、参考にどうぞ

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by poemaquince | 2014-07-13 20:42 | 映画 | Comments(0)