M-51Parkaに関する2,3の事柄

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「コクリコ坂から」と「朝鮮戦争」 メルの父はなぜLSTにのっていたのか。(番外編)

最近、番外編ばかりが続いてしまっています。・・・すみません
先日、宮崎アニメ、コクリコ坂・・を観てきました。
主人公の少女の父親は、船員として「朝鮮戦争」で死亡したという設定はどこかで読んでいたので、てっきり掃海艇にでも乗っていたという設定なのかなと漠然と思ってたのでした。
ところが、本編を観てみたらLSTに乗っていた!というではありませんか!なんでそんな設定になるのか! LSTといえば「戦車揚陸艦」!当時まだアメリカ占領下の敵性国民(日本人のことです)が何で揚陸艦に乗ってるのだろうか???

・・・で、調べてみると、さすが宮崎駿(いや少女マンガの原作がそうなっていたのかな?←追記:原作マンガより時代設定を10年近く遡らせていたのですね、やはり宮崎駿の設定でした)、忘れられた「従軍」を歴史の闇から引っ張り出しました。
(でも、あのLST爆発のシーンを観て、ガンダムとかじゃないんだから・・・吾朗監督でなく宮崎駿だったらあんな爆発させるだろうか・・・とつい考えてしまうのでした。父と子の軍事に関する造詣の違いなのでしょうか?)

 戦後処理のため、多数の米軍LSTが日本政府に貸与され、戦時中からの特殊法人!「船舶運営会(商船管理委員会1950~)」がその運用を任され、GHQの指揮のもと各地の引き揚げや物資輸送に運用されていた。それが朝鮮戦争勃発とともに米軍の作戦行動に組み込まれた!とのことらしいのです。うーん・・・

↓詳細は「朝鮮戦争と日本の関わり―忘れ去られた海上輸送―」石丸 安蔵氏論文を参照
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/200803/03.pdf


アメリカ海軍関係のHPの写真キャプションにもはっきり書いてありました!
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Hungnam Evacuation, December 1950
A truck convoy moves along a shore road to the evacuation beach at Hungnam, 18 December 1950.
USS LSM-419 (at left) and two Japanese-manned LSTs are loading in the immediate background.
興南(フンナム)の撤退1950年12月
興南の避難海岸へ向かって海岸路に沿って移動するトラックのコンボイ
その先ではUSS LSM-419 (左側)および2隻の「日本人乗員のLST」が積込作業を行っている。1950年12月18日




LSTの分かりやすい写真 元山(ウォンサン)1950年10月
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↓出典:米海軍系のHPに掲載されている米公文書館記録写真より
http://www.history.navy.mil/photos/events/kowar/kowar.htm

追記
コクリコ坂からlstで検索したら、面白い論考がありました。
http://maalthelamb.wordpress.com/2011/08/12/
当時の日本では、LST(での朝鮮戦争従軍)は誰も知らないだろうというするどいご指摘です。なるほど!気付きませんでした。
たしかに当時の日本の殆どの人は知らなかったかもしれません。ただ、海運関係の当事者や出版ジャーナリスト?などが知っていたとしてもおかしくはないのかな?とも感じます。なので、設定としてはアリかなと思いました(福島原発の事故以前にシーベルトやベクレルという用語が一般的でなかったという感覚と一緒?・・・いや、よくよく考えれば一緒でなかった。LSTとか、まして朝鮮戦争時に日本の商船船員が米軍のロジスティックに組み込まれていたなんて今でもだれも知らなかったから。エンタテイメントでさらりと示唆する。いやはや宮崎駿は偉大です。)
あと、「終戦直後に広島原爆について公知のように語られるシーン」云々っていう指摘もあります。が、あれ?そんなシーンあったっけ?すっかり記憶にないのだけれど・・・気になります。でも、もう一回観にいくのも大変だし(笑)どうしよう・・・

追記の追記
1966年出版の勁草書房書籍に掲載された論文とその文中引用をみてみると、50年代からある程度の報道はされていたことが確認できますね。
http://www.oct.zaq.ne.jp/afalv507/heiwa1.htm
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by poemaquince | 2011-08-24 22:31 | 映画 | Comments(2)

ソウルはずっと雨だった(番外編)

M-51parkaといえば「朝鮮戦争」ということで、行ってきました「ソウル戦争記念館」(件の歴史的な集中豪雨で旅行期間中ずっと雨だったけど)
広大な敷地は、もともと韓国陸軍本部の敷地だったそうで、そこにこの施設を94年6月に開館させたとのことです。
施設には朝鮮半島の軍事史などについて中世から現在の韓国国軍までの一連の展示がありましたが(そういえば日帝時代はなかった気がします)、質・量とも充実したメインの展示はやはり625戦争(朝鮮戦争1950~)に関するものでした。パネルやビデオ、当時の物品の展示やディオラマなどで戦争の発端から停戦までを分かりやすく展示しています。(予備知識のない人には、何のことやらさっぱりわからないとは思うけど。)案内リーフレットや映像展示などはちゃんと日本語バージョンが準備されています。興味のある方にはお勧めかもしれません。
スケジュールの都合で充分に時間が取れず、天候のせいで気分もおざなりな気持ちだったのか、帰国してみてみたら戦争記念館の写真は殆どありませんでした。
そんな中で、なぜか撮っていた数枚の写真を紹介します。

期待していたM-51シェルパーカーを始めとした冬季衣料の展示がほとんど無い中で、多分唯一の冬季装備展示であった抗美援朝義勇軍(中国人民解放軍)の冬季綿入れ(たぶんレプリカ)
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部隊指揮あるいは士気鼓舞?のため、竹製チャルメラ(哨吶:スオナまたは海笛子:ハイディーズ?)や銅鑼など多用したといわれています。



きっと1950年に放棄されたのであろう朝鮮人民軍のT-34/85とその内部写真
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ドライバーズハッチ側から上方砲塔方向へ向けて写したもの(砲口は車両後方を向いていることに注意)
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(T-34/85は敷地内にいくつかあるようです)


屋外にはB-52その他の航空機や多数のAFVなどがあったはずなんだけど、天候と時間の都合でオミットしてしまいました。(もったいない)
実はピョンヤンにも「祖国解放戦争勝利記念館」という似たような施設があって、そこと展示のテイストが似ているな・・・と感じたのでした。ソウルがピョンヤンのそれを意識して対抗したからなのか、あるいは同じ戦争をテーマに展示しているからなのか、はたまた同じ民族のDNAがそうさせたのか、などと展示のディオラマを見ながらぼんやり考えたりしたのでした。(でも異なることのほうがたくさんあるとは思うんだけど)
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by poemaquince | 2011-08-05 12:13 | 番外編 | Comments(0)