M-51Parkaに関する2,3の事柄

カテゴリ:映画( 29 )

いやコレまさにリアル「シン・ゴジラ」だ!!映画「太陽の蓋」観てきました(今更ながら)

 先週、ひさびさに映画のはしごをしてきました。
 午前中は新宿でケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」、夜は佐藤太監督の「太陽の蓋」を観てきました。
 「ダニエル・ブレイク」のほうは、カンヌ「パルムドール」なのですが、英国の「緊縮財政」が善良な(元)納税者を痛めつけるお話です。疾病でリタイヤするまでしっかり税金を払っていてもセーフティネットは穴だらけという労働党も保守党も陥った「緊縮財政」に対するケン・ローチ監督の静かな怒りが伝わってきます。いやまあ、人間の尊厳を挫くお役所の対応のお粗末さへの怒りはその通りなのだけど、サービスを維持する財源を誰がどう負担するのかという問題は解決が困難ではあるようにも思えます。
 そして掘り出しものは同日夜に観た「太陽の蓋」です。途中すこし冗長に感じられる部分もありますが、あの3.11の、とりわけ原子力災害に関しての官邸のドタバタぶりを上手く描いています!アレ?このテイスト!「シン・ゴジラ」じゃん!!
 映画「シン・ゴジラ」で描かれる対応のごてごて感とそっくりです。原子力保安院は、「あたしは東大の経済学部卒(文系なので分からない)」と開き直っちゃうし、東電は何を恐れてか情報を上げてこないし。あちらはフィクションだけど、こちらは実話ベースのお話です。一歩間違えばマジで首都圏壊滅の恐れありなシリアスな状況です。
 初公開は、2016年7月で、「シン・ゴジラ」とほぼ同時期の封切りだったようですが、アレ?だれもこの類似に気づいてないの??と思ってググって見たら柳下毅一郎さんほかみなさん言及してました(笑)。いや、この映画、もっと話題になって良い映画と思いますよ。特に「シン・ゴジラ」と併せて観るのが良いでしょうね。「ゴジラ」はほんとはいませんけど「ゲンパツ」は日本にもたくさんアリますからね。
 3.11からすでに6年、フクシマ原発について、最近では当時考えられていたより炉心のダメージが深刻であった事が明らかにされたりしています。マジで首の皮一枚だったわけで、ほんと東京は「たまたま助かった」といっても過言ではないでしょうよ。(ベントしてくれた東電決死隊のみなさんはじめ、当時コントロールに尽力された皆さん!ホントにありがとうございました)
 米国では幻冬舎から新書で出版された菅元総理の「東電福島原発事故-総理大臣として考えたこと」の英訳版が出版され、コロンビア大学の講演では700名の聴衆が集まったとか。
 アレバもウエスティングハウスも破綻しているなか、なぜが三菱重工や東芝のジャパンマネーが両社につっこまれて巻き添えを食らっています。商売を含め時代はもう原発から移っているのにアレ政権はなんで今更原発をエネルギー計画で「ベースロード電源」に戻してしまってるんだろ?
 道理に蒙(くら)く、歴史を透徹する知性の足りないアレ首相は、これ以上日本社会を毀損する前に一刻も早く政権から退場してほしいと心から願っていますよ。
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      ©2016 「太陽の蓋」プロジェクト/Tachibana Tamiyoshi
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by poemaquince | 2017-04-09 01:10 | 映画 | Comments(0)

UNDER THE SUN ドキュメンタリー映画「太陽の下で」観てきました。(泣き)

 ロシア人監督のドキュメンタリー映画「太陽の下で ー真実の北朝鮮ー」を、シネマート新宿でみてきました。この映画をみると、かの国に生きる人々が切なくて泣けてきます。
 ロシア人の監督が、ピョンヤンの市民生活のドキュメンタリーを撮るという名目で北朝鮮当局の許可のもとカメラを廻し、そのドキュメンタリー撮影の「シーン」の背景も含めて撮影するという手法で「北朝鮮当局」のドキュメンタリー演出を描く「メタ・ドキュメンタリー」になっています。
 カメラに写る街並みは整然としています。たぶん、「革命首都」のピョンヤンであるからなのでしょう。また、思いのほか皆さん華やかな装いをしています(国内産の衣料が、あまり入手できず中国から輸入されたものがカラフルだからという説もあるようです)。みたところ街中ではトロリーバスも結構稼働していますし、日本製の自動車も沢山走っています。その一方で、小学生のこどもには「倭奴(ウエノム/帝国主義の日本人)や地主を金日成将軍が追い払ってくださった」みたいな授業をしています。ちらとですが三菱鉛筆ぽいものを使ってるこどもも写ります。彼らの中で「倭奴」や「米帝、南朝鮮と同盟する日本」と、街で見かけるクルマや日用製品をつくる「日本」がどのようにつながっているのかを聞いてみたい気がします(案外、日本製とは気づいていないかもしれませんが)。
 まあ、今回の映画で描がかなくとも、かの国の「ドキュメンタリー」フィルムには、「演出感」がありありと「にじみ出て」いるので、それを真(ま)に受けるひとは少ないと思うのだけれど、それでもこのような形であらためて克明にその「メタ」な状況がかいま見られるのは、興味深くはあります。
 ネタバレになるので詳細は省きますが、川村もラストのシーンでは涙が止まりませんでした。そして、「我々は彼らを笑えない。笑ってはならない。」と自らを省みて強く感じ、戒(いまし)めとしました。
 かの国のかれらは命を賭けて否応無く「ウソの世界」を生きています。振り返って我々はどうでしょう。テレビの「バラエティー」や自称「報道機関」のアレをマに受けるとか、耳触りのいい「ネットDE真実」でホントのことを分かったつもりになっていたりとか、自ら検証するという努力も無く、安逸に「情報」を求め、都合のいい解釈を「真実」として信じていたりします。かの国の彼らは選択の余地なく情報を強制されているわけですが、ひるがえって我が国に暮らす人々はまさに自分で選択できる立場にあるわけです。そして、自由な社会に生きるけっして少なくない人々が「アレな情報」をマに受け信じちゃってる状況がたち現れています。市民的自由が確保されているにもかかわらずそのような「ポスト・トゥルース」や「オルタナティブ・ファクト(笑)」が一定の力を持つ時代がほんとうに到来してしまいました。まったく醜悪かつ危機的です。
 ヴィタリー・マンスキー監督も、「朝鮮民主主義人民共和国」という「全体主義体制」を描きつつ、じつはロシア人に向けては「あんたらしっかりしろや。チェチェンやシリア、あるいはウクライナについてもっと良く考えたら」といいたかったのも知れません。

https://youtu.be/zzkoIExzfts
https://youtu.be/yAPf_77qBGc
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by poemaquince | 2017-01-30 23:39 | 映画 | Comments(2)

映画「アルジェの戦い」観てきました。(番外編)

 ほんとは、新宿で、午前中にクロサワの「七人の侍」観て、午後にこの「アルジェの戦い」をみようと勝手に予定してたんだけど、なんと「七人の侍」の上映時間が200分を超えていて、午後一時の「アルジェの戦い」の上映時間に間に合わないことがわかりました。仕方なしクロサワは見送りです(とほほ)。
 というわけで、新宿「K'sシネマ」で「アルジェの戦い」観てきました。川村はアルジェリアの独立戦争のイメージとして、組織されたゲリラ部隊とフランス空挺部隊との「武力衝突・戦闘」を勝手に思い描いていました。例えば「地下水道」(1956)とか「ネレトバの戦い」(1969)とかのような「パルチザンの戦争映画」のようなイメージをもっていたのです。ところが映画「アルジェの戦い」にて描かれる「闘い」にそのようなシーンはほとんど出てきません。
 映画の冒頭から、フランス空挺部隊が登場します。空挺部隊はカスバの住民のじいさんを拷問して活動家のリーダー(主人公)の居場所を吐かせ、彼の隠れるカスバ(旧市街地)の集合住宅を襲撃するシーンから始まります。アジトを包囲する空挺隊はリザードパターンのジャケットを着てます。モノクロなので、見た目ほとんど「タイガーストライプ」(笑)です。
 住宅に踏み込まれ、隠し小部屋に立て籠る主人公たちのシーンから、時間は数年さかのぼり、FLN(民族解放戦線)の闘争のお話につながっていきます。当初は、武器の強奪などのため?警察署の襲撃や、警察官の襲撃、あるいはストライキなどの闘争を展開するのですが、フランス空挺部隊の治安投入と並行して、戦術はエスカレートしていきます。びっくりしたのがソフトターゲットへの爆弾闘争です。FLNはコロン(在アルジェリアフランス人)の集うディスコティークや、カフェなど吹き飛ばします。50年代の民族解放闘争でまさか無差別の爆弾闘争戦術を取っていたとは知りませんでした(もちろんその伏線にフランス軍がカスバの集合住宅をこっそり非合法に爆弾で吹き飛ばしてしまうエピソードがあるのですが)。
 最終的にフランス空挺部隊は軍事的にアルジェの制圧に成功します。しかしながら数年後、自然発生的なアラブ人達の街頭抗議行動が生まれ、1962年、結局アルジェリアは独立することになります。映画に描かれはしないのですが、史実としてはフランス本国の独立容認派(なんとゴリゴリの保守派ドゴールも!)と在アルジェリア(海外領土)フランス人の極右独立反対派との政治紛争、フランス軍の軍事クーデター(!)など非常に興味深い展開もあるのでした。

フランス第10空挺師団 F.マチュー中佐の着任(このスチルでは、ちゃんとリザードに見えますねえ)
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アルジェ、カスバでの弾圧
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アルジェ制圧後の60年?街頭行動 このSU-100(?)は、独立後に実際にアルジェリア政府に供与されたものなのかな? 
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 いずれも映画「アルジェの闘い」のスチル写真です。

(閑話休題)
 そういえば、少し前にパトリシオ・グスマン監督のドキュメンタリー映画「チリの闘い(三部作)」(1975/78)をユーロスペースで観たんだけど、こちらも想像していた内容とだいぶ違いました。特に第二部でクーデタにより大統領府が攻撃されるシーンがあるのだけど、なんか「孤立無援」という印象です。あれほど「アジェンデ!アジェンデ!」と叫んでいた民衆は写っていません。別の場所で戦っていたのかな?なんだか「ジーザスクライスト・スーパースター」(1973)を思い出してしまいました。群衆が熱狂的に「たたえていた」イエスを、その同じ群衆が「磔刑にせよ」とピラトに要求します。そのイエスの姿のがアジェンデ大統領に重なって見えたのでした(泣)。
 同じ時期に、同じチリの同じ時代を描いた「コロニア」(2015)も観たのですが、これまた想像していた内容とだいぶ違いました。アジェンデの失脚とピノチェットのクーデターを背景にしたサスペンス映画と思っていましたが、なんと「ピノチェット軍事政権と結託するナチ残党「カルト」」のお話でした。
 全然関係ないけど、タミルイーラム解放の虎(だっけ)の元兵士がフランスで難民として生きる「ディーパンの闘い」(2015)のオープニングも「タイガーストライプ」(笑)だったなあ。いや、この映画「ディーパンの闘い」泣けます。お勧めです(観たときはぜんぜん気にしてなかったのだけど調べたらカンヌ”パルムドール”でした!!すげー)。
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by poemaquince | 2016-10-24 23:39 | 映画 | Comments(0)

映画「シン・ゴジラ」観て考えました。(番外編)

 さて、前回はドキュメンタリー映画「日本鬼子」を観てつらつら思った事を書いてみたわけですが、今回は超弩級虚構映画「シン・ゴジラ」を観て感じた事を書いてみようと思ってます。いわゆる「ネタバレ」を含むのでこれから見ようと思っている人はまだ読まないほうがいいかもしれません。

 観終わったあとの感想第一声は「いやこれ福島原発のメタファーってゆうかパロディじゃね?」ってことです。「?」が「確信」に変わったのが、ヤシオリ作戦でゴジラへ「体液凝固剤」を投入する生コンポンプ車?(何て呼ぶ建機車か名称判りませんが)見たときです(笑)。3.11の注水車とおんなじです。まあ、水路を遡上するゴジラ(幼態)とか、ゴジラの通ったあとのがれきの山とか、3.11を彷彿とさせるシーンは至る所に出てくるのだけど。そして、凝固したゴジラはまさにフクシマ原発とそのまま重なります。ネットで検索すると、やはり皆さん似たようなことを感じて書かれている方が結構おられます。
 感想第二は、トロンビンとか血液凝固剤とか言ってたけど、経口投与か!!てゆうところです(そんなんで効くの?)。役所の伝手(つて)で民間プラントを総動員して凝固薬の必要量は確保できたんだけど、どうやって投与するんだろう?とハラハラしてたのに。そしたら上記のとおり。ヤシオリ作戦雑過ぎ(笑)。がれきの中、装輪の「生コンポンプ車」はゴジラにアクセスできないって!まあ、虚構にツッコんでも仕方ないのですが、映画前半の描き方がすばらしかったので、映画後半の展開には期待しすぎていました(笑)。在来線爆弾とかヤシオリ作戦の伊福部マーチで、「パロディーテイスト」満開です。
 そして、やはり傑作なのは、「災害」発生時からの政府対応シーンでしょう。東京湾横断道路の謎の陥没事故からの展開が秀逸!役所の会議の「バタバタ感」がハンパない描写で笑えます!東京都の災対会議のシーンも再現度が高い!東京ロケーションボックスで本物つかった??
 後半で印象的なのは、立川の災対基地で、政権与党の若手政治家二人が出世とかなんかのヨイショ談義をしてて、まあ、それはそれで泥臭くていいんだけど、そのあとヤシオリ作戦に出撃する現場の隊員に訓示なんかする場面なんだけど、さっさと立場変えて「この国の未来が云々」(みたいな??まあ、そんなかんじのいわゆる感動的なことがら)なんかで檄っちゃって、「ああ、隊員達は命かかってるのに、このひとたちは安全なところで指揮命令してんだろうな」とか感じてしまうのでした(まあ実社会でそういった豹変は大事なんだけどね)。この映画は、われわれ日本人は、あの3.11をこのようにやり過ごし、そしてアレは、いまだ宙ぶらりんにあそこに「固まっている」だけなんだよ。ということを見事に示しているのでしょう。
 いやー,庵野監督、上手い!!
 映画みる前は先入観をもたないようにとネット記事とか読まないようにしていたのですが、観おわったあと、他の人はどんな感想なのだろうといろいろ検索してみました。まあ、いろんな見方があっていいとは思うんだけど、あまりにアレなご意見(テーマは安全保障だ!みたいな(笑))も散見されたりします(おやおや)。
 あと、無人ボートに残された「春と修羅」とか、最後のカットの尻尾の「人型?」とか、全く気づかず(いや冊子は気づいたんだけど文字が読めなかった)見落としていました(こういったとき視力が低いのはつくづく不便です)。もいっかい観ようかな。
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by poemaquince | 2016-09-02 00:23 | 映画 | Comments(0)

映画「RIBEN GUIZU」観て考えました。(番外編)

 昨日、今日と、映画のハシゴ三昧です。早稲田松竹で、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の台湾映画二本立て「風櫃(フンクィ)の少年」「冬冬(トントン)の夏休み」を観たあと、武蔵野プレイスでの自主上映ドキュメンタリー「日本鬼子(リーベン・クィヅ)」を観てきました。続けて今日は庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」です。
 さて、シン・ゴジラについてもいろいろ考えさせられたわけですが、なんといっても心が「ゆさぶられた」のは、「日本鬼子(リーベン・クィヅ)」です。
 昭和戦争期に於ける中国戦線での皇軍兵士の残虐な行いについては、文献などで多少は知っていたわけですが、やはり当時皇軍兵士であった当事者からの生の証言は「インパクト」が違います。証言の撮影は、2001年頃との事ですが、日本軍の軍人であった14人の証言者(現時点で14名のうち存命の方は2名となってしまっているとの由)は、淡々とあるいは人によっては「楽しそう」に当時の話を語ります。監督が撮影するにあたってお願いしたのは、「聞いた話ではなく自分が行ったこと」を話すということでした。
 最初のほうは、農民(何の関係もない)を生きたまま「初年兵」のための「刺突訓練」の標的にしてしまうとか、軍刀の試し切りなどの話でした。医師の軍医時代の「生体演習」(生きたまま手術練習の材料とした)の話もあったりしたのち、後半になるとまた、兵士の証言が続きます。さすがに旧日本軍も婦女子への性的蹂躙は公式には禁止をしていたのですが、現場をコントロールしていません。また、問題が表面化すると話がややこしくなるためかえって犠牲となった女性は殺されてしまいます。なんとも胸の悪くなるような話が続きます。せめて「証言者」が、涙ながら懺悔しながら語っていたのであればこんな気持ちにならなかったのかもしれませんが、あまりに淡々と、あるいはすこし「楽しそうに」語るのでもう、証言者に対して反感と怒りしか湧いてきません。特に最悪なのは古参「6年兵」の兵卒が「若い女性」をやったあと、切り刻んで部隊の糧食に出してしまったエピソードです。事後報告で中隊長(3年兵)に報告するのですが力関係からか黙認です。(証言者は力関係のように説明していましたが、どちらかというと、将校が面倒を恐れて黙殺したというところでしょう。)なるほどこのような証言を知れば、中国農民が日本皇軍の残虐さから「日本鬼子」「東洋鬼」と呼んで恐れおののいたということも胸に落ちます。
 さきの昭和戦争について、戦争「被害」については皆が語ってきました。しかし「戦争の加害」についてはほとんどおおやけに語られてきません。そう言った意味でこのドキュメンタリーに出演し、証言を残してくれた人々は、ある意味「勇気ある人々」と言っていいのかもしれません。
 今を生きる多くの人々にとって、彼らの体験は「特殊な事例」と感じられるかもしれません。しかし彼らにしても、たまたまその時代を生きた普通の人々だったわけです。最初は「刺突」すら恐ろしくてできなかったものが、いったん慣れてしまえばいたって普通に、そのうち残虐なことも残虐と思わずに行えるようになる。あるいは「日本人は偉く、中国人を支配して当然」といったような心性にいとも簡単に転んでしまう。その事が一層恐ろしく思われるのでした。ゲーテ(だっけ?)の格言のように、まさに「盗む機会のなかった者は、自分を正直者と思っている」といったように、そのシチュエーションに放り込まれたときにどれだけ自分を保てるかという事でしょう(もちろんそれは記述者川村自身についてもいえることなのですが)。
 かれらは、一様に証言します。「今から思えばかわいそうな事をしたと思う。だが、そのときは「生意気」と思った(ので殺した)。」「自分だけやらないと仲間はずれにされる。部隊で生きていけない。」と。こういった心理の発露は、いまのこのネット社会や報道でもしばしば見聞きする情景です(自民族を無根拠に優越視するような差別排外主義や、出る杭を許さない同調圧力の強い社会)。
 「日本鬼子(リーベン・クィヅ)」を「ひのもとおにこ」として萌えキャラにするのは良いのですが、ウィキの言うような単なる「侮蔑語」ではなく、その背景と歴史を充分理解したうえで、抑制的に(どの国にもいる「ネト右」「憤青」などを)揶揄するときに使用するのが吉でしょう。

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                  (c)ぼくちん@ROM専気味


追記:証言者は「中帰連」の人々であるという事から(証言を)批判的に捉えるむきもあるようですが、今回の映画に限らず似たような証言はそこそこあるので「中帰連」云々の批判は該当しないのではないかと考えます。
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by poemaquince | 2016-08-30 22:13 | 映画 | Comments(0)

チェ・ドンフン監督、日帝統治下の京城が舞台の映画「暗殺」観てきました。(ネタバレあり?)

 日帝統治下の抗日運動という題材は、個人的にもぐっときてしまうテーマなのですが、いやこの映画、泣きあり笑いありのエンタテイメントで面白い!! 
 例によって新宿シネマートの小さいほうのスクリーンです。午前9時台の上映だからあまりお客さんいないのかなと思っていましたが、日曜だったためかそこそこの入りです。おまけに韓流ファンのひとたちなのか女性も多い。日韓関係が硬直化しているなか、「韓流」も一定程度定着しているといえるのでしょうか?でも、以前と比べた新大久保界隈の凋落をみてしまうと安心もできないわけではあります。 
 さて、物語のプロローグは1911年の京城の事件から始まります。それから、大戦後(光復後)(たしか1947年頃)の「民族反逆者調査委員会」(みたいな名前、正確には忘れた!)のシーンを挟んで、1933年?金九の指導する亡命政権からの暗殺指令が物語の本編につながっていきます。
 満州に展開する抗日パルチザン部隊からは、上官殺しで隔離審査中の女性狙撃兵がリクルートされます。彼女(チョン・ジヒョン扮するアン・オギュン(安玉均?))の火器は赤軍からのものなのか?ながーいモシン・ナガンで、おまけに狙撃兵なのに近視!です(ぐっときます)。
 上海のフランス租界のシーンも泣けます。アン・オギュンは、ホテルミラボーのカフェで生まれて初めてのコーヒーを飲んでいます。横暴に騒ぐ「大陸浪人(日本人のです)」が通報され、カフェにフランス租界の警察が取り締まりにやってきます。あわやのところでアン・オギュンを正体不明の男(ハン・ジョンウ)が機転を利かせて助けたりします。(出会いです!)
 そして、上海の町並みの描写がすばらしい。半分はCGで描き足しているのかもしれませんが、雑然としたモダンさにあふれた雰囲気がでています。また、ソウル(てゆうか京城)の雰囲気も同様にすばらしい。路面電車、日式看板、乗用車、石造りのモダンな建物と木造建築、時代の雰囲気がでています。三越百貨店や「カフェ・アネモネ」のシーンなど、帝国主義の支配は、一面では「都市という文化の近代化」の側面もあったのだなあという事が感じられたりします。そして、ハン・ジョンウ扮するなぞの男は、日本語をネイティブに話せる(物語の設定上)ことから、たぶん日本への留学組という設定なのかもしれません。(1930年代にすでに成人している人物は、その時点ではまだ「徹底した皇民化教育」は受けてはいない世代と思われます。むしろそれ以前に、日本の大学などへ留学し、民族主義あるいは社会主義などの影響を受けた人物という設定だったのではないでしょうか。)
 この映画についてもう一点、指摘しておきたいのは、特定の民族にステレオタイプな役割を押し付けていないということです。この点が、きわめて良質のエンタテイメントとして安心してみていられる重要な条件なのではないかと感じました。もちろんカタキは出てくるのですが、それは日本人に限らず、いわゆる「買弁資本家」的な民族資本家や、対日協力者だったりします(もちろん彼らにも彼らなりの言い分があります)。あるいは、「朝鮮独立」を支持し命をかけて闘争を手伝ったりする日本人(カフェアネモネのバーテン青木さん?だっけ)も登場します。また、光復(解放)後の「民族反逆者裁判」についてもその醜悪さや限界をしっかり描いたりしています。
 活劇あり、萌え系めがねの狙撃手あり、ダブルエージェントの裏切りあり、娘と家族の葛藤あり、結ばれない切ない恋ありのエンタテイメントとして楽しめると同時に、(お話はフィクションではあるのですが)日本/朝鮮近代史の一側面を感じられる映画でもあると言えるでしょう。
 なんといいますか、まるで夭逝してしまった天才漫画家、湊谷夢吉先生の作品、例えば「魔都の群盲」の世界を思い出します。先生が生きていてこの映画を観たらきっと絶賛した(あるいは悔しがった?)かもしれません。
 これから順次国内で公開されるようです。アジア近現代史に興味のある方は是非ご覧いただく事をお勧めします!
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追記:上に記した「帝国主義の支配は、一面では「都市という文化の近代化」の側面もあったのだなあ」というような雑感について、的確な分析をしているHPがありました。ヌルボ・イルボさん?のページです。非常に興味深いので是非ご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/db0983fb268595b0b5b9c6042d02593a
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by poemaquince | 2016-08-22 23:05 | 映画 | Comments(0)

映画「オマールの壁」観てきました。(番外編)

 先日(ていうか既に2週間が経ってしまいましたが)、新宿の角川シネマでパレスチナ映画「オマールの壁」を観てきました。
 映画としてはものすごくよくできていて、謎解きエンタテイメントとしても楽しめるし、また、イスラエルのえげつなさや、分離壁によるヨルダン川西岸?自治区の社会状況なども描かれた社会派の視点も見事です。そしてカンヌ映画祭でも「ある視点部門賞」を受賞していたりする佳作映画です。
 にもかかわらず、観終わったあと、後味がざらざらしていたので、その理由がなんなのかをすこし考えたりしておりました。少しばかり迷いましたがやはりそのことを書き留めておこうとおもいます。というのも、そういった見解はイスラームに対する文化的な偏見を助長させたり、あるいは文化的偏見そのものではないのかというご意見もありそうな気がしたからです。(もちろん自分もそういった自覚なき偏見から全く自由ではないかもしれませんが)
 さて、前置きが長くなりましたが、何がこころに引っかかってがざらざらしていたのかと思いあぐねると、どうやら「あー、イスラム社会って両性の合意だけで結婚できないんだ。めんどくさー」ということに思い当たりそうです。それがイスラームの宗教規範によるものなのか、あるいはただ単に社会の発展段階に伴う共同体の規範なのかどうかは判らない(実際、日本社会も今の憲法が明文化するまでそうであった訳だし)のですが、そんな「性」(あるいは女性性)への「非寛容性」を感じたからなのでしょう。
 イスラエルの不当な支配が、若者の暴発(ここではイスラエル兵への狙撃)や共同体のなかでの疑心暗鬼を生んでいる状況については「まあ、そうだよね」と納得できる訳です。ネタバレになるかもしれませんので詳細は省きますが、描かれる主人公(の生きる世界)がもっと「性」に寛容な社会であればそもそもこんなに「もつれる」必要もなかった(映画のドラマ性も成り立たない?)ということなのかなあとも感じたのでした。
 もっとも、あとで、ハニ・アブ・アサド監督のインタビューなど見てみると(参照)http://www.webdice.jp/dice/detail/5043/ ラブストーリーは「喜劇」か「悲劇」にしかなり得ないと仰っているので、やはりイスラーム文化の特質なんかではなく、古今東西どの社会にもみられる「若者の独りよがりの勘違い」の悲劇(喜劇)ということなのかもしれません。
 いずれにせよ一刻もはやくパレスチナの地に平和で世俗的な自治国家が真に樹立されるよう強く願っております。


 当日は満席だったのですが、角川シネマでの上映は5月6日までです。渋谷アップリンクにて上映中!!
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(映画に関係ないけど)
 帰りに高円寺に寄り道して「バインミー」食べてきました。
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by poemaquince | 2016-04-29 14:55 | 映画 | Comments(0)

映画「宋家の三姉妹」観てきました。(番外編)

 先日、「午前十時の映画祭」で「宋家の三姉妹」を観てきました。(対の番組はベルトルッチの「ラストエンペラー」です。ほんとは立川でこちらを先に観ようと思ってたのですが、座席の高低差のあるシネコンで観たほうがストレスが無いと思い、先に新宿の東宝シネマズで「宋家皇朝」を観ることにしました。「宋家」も「ラストエンペラー」もどちらも中国の近代革命と日本帝国主義の時代がテーマの背景です。
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実際の三姉妹
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 予告編に続き、本編はなつかしいゴールデンハーベストのロゴから始まります。香港と日本の合作で、映画公開当時の1997年はまさに香港が中華人民共和国に回収されんとしていた頃です。
 映画は有名な孫文夫人「宋慶齢」(次女)、蒋介石夫人「宋美齢」(三女)、と財閥へ嫁いだ長女「宋靄齢」(そうあいれい)の三姉妹の一代記です。
 この映画を観て、前々からの疑問のひとつが解けました。それは、姉妹なのに孫文と蒋介石というどう考えても世代の違う人物のそれぞれ夫人であったということで、年齢が合わないのではないかということです。(映画を観るとああそうだったんだ!と、得心します。)もう一点、興味深かったのは蒋介石についての描写です。映画が制作された97年の当時、中国本土では、蒋介石は有無を言わさず「天下の大悪党」という描き方しか無いと思うのですが、中国へ回収寸前であった香港映画人の矜持なのか、蒋介石も比較的「公平」に描かれていた気がします。もちろん、蒋介石の国民党が、党内の共産主義者を弾圧し、また、日本帝国主義の侵略に抵抗して戦うより共産党との内戦を優先しているような描写などは「まあ、史実としてそうだったのだろうな」と日本の観客(の私、川村)も思ったりしたのでした。
 ところが、映画を観た翌日、なにげに読んだ遠藤誉先生のウェブ連載記事に驚くことが書いてありました。(遠藤先生は中国情勢について鋭い分析をされており、いつも興味深い情報を発信されていますので信頼しているシード記事のひとつです。)国共内戦(というか国共合作)期について、中国共産党こそが、抗日ではなく国民党との内戦を優先し日本軍に国民党軍の情報を売っていたというのです。
 また、そののち遠藤先生の新刊「毛沢東ー日本軍と共謀した男ー(新潮新書)」などを読んでみると当時の「国民党」と「共産党」の関係・構図などが良くわかります。中華人民共和国の凄まじい政治(闘争)について、再認識したのでした。
 それにひきかえわが国のアレ首相の外交のなんとぬるいことか。3Kシンブンあたりが自賛していることがらのなんと的外れな視点か。外交ネゴ(アレ用語でいう「歴史戦」)は歴史「原則」をふまえた「大義名分」の押し引きのはずです。
 アレ首相の「懐古趣味」とか「美学」でいくら日本帝国主義を擁護美化しようとも、それは終わった(しかも負けた)ゲームについて、「いやあれはファウルだった」とか「ほんとはオフサイドだったからゴールは無効」とかいつまでも言っているようなものです(もちろん、後世から振り返って歴史のディテールを復元/解釈することに異存はありませんが)。そんな子どもの「言い訳」のような話ばかりをして、突っ込まれる口実を相手に与えてしまっているという自覚はアレ政権にはありません。
 自由と人権と平和主義という原理原則を武器に、大国の覇権をたしなめることをしないアレ外交が問題なのです。日本国憲法を憎み、大日本帝国憲法を懐古し、哲学と理念のない稚拙な歴史観の国家主義者が、70年間の平和と言う実績を取り崩し、日本の未来を切り売りしているというのが現時点でのこの国の姿なのです。(あれれ、映画の話だったのに、すみません。)
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by poemaquince | 2015-12-05 22:01 | 映画 | Comments(0)

もうひとつの東部戦線 アレクセイ・ゲルマン監督「道中の点検」ほか

 先日、池袋「新文芸座」にて、70年代のソビエト映画を見てきました。アレクセイ・ゲルマン監督の「道中の点検」と「戦争のない20日間」です。
 最初は観客が高齢なオサーンばっかりで大丈夫か?と少し不安だったのですが、M-51FJKT(DSA時代モデル)を着た美しい女子もいたりして少し安心したりします(何で?)。
 映画は二本ともそれぞれ面白かったのですが、レンフィルム、70年代になってもモノクロというところがまた泣けてきます。でも、監督は21世紀になってもモノクロで撮っていたりする(「神々の黄昏(神様はつらいよ)」)ので、ホントは監督の「趣味」だったのかな?
 あと、最近はやたら過剰な音楽でなんでも説明しようとする映画が多過ぎでうんざりしていたところですが、この「道中の点検」では、劇中の画面に流れるときだけ使用される抑制したスタイルで、もうすばらしい。
 いやそれにしてもこの映画、公開は「ペレストロイカ」の始まる80年代までオクラになっていたとのこと。ドイツ軍からの再転向がそんなに微妙なテーマだったのかしら。
 新文芸座は(たぶん)初めてなのですが、売店の軽食がすばらしい。どれもおいしそうです。二本立てを観て小腹がすいても、コレなら安心していられそうです。
 
かくれ主人公?のラザレフ元赤軍伍長
ドイツ軍を脱走してパルチザンに合流します。
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なかなか渋いキャラクターです。
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新文芸座は、池袋東口の風俗街のなかにぽつねんとあります。
パチンコ屋さんマルハンビルの3階です。
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軽食メニューは3種類
近所のエスニック料理屋さんから運んでいるみたい。
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ひとつ買ってみました。350円
このカレーパン?お勧めです!!だいぶボリュームもあります。
日本的なカレーパンとは全然違います。
ピロシキともサモサともちょっと違う、モッチリしたあんでとてもおいしかったです。
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by poemaquince | 2015-11-05 22:14 | 映画 | Comments(0)

フォルカーシュレンドルフ「パリよ、永遠に(Diplomatie)」観てきました。

 渋谷東急ルシネマにて、フォルカーシュレンドルフ監督の「Diplomatie(外交)」を観てきました。シュレンドルフ監督は立て続けに大戦中の独仏ものを撮っている様子なんだけど、個人的には、さきの「シャトーブリアンからの‥」のほうが観終わったあとのモヤモヤ感が好きでした。いや、この映画もしっかり面白いんだけど。同じテーマを扱った「パリは燃えているか」と見比べてみたいです。
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 映画の内容については、マライ・メントライン女史のこちらのHPが的確な解説をされているので是非ご参照ください。
http://young-germany.jp/2015/03/『パリよ、永遠に』フォルカー・シュレンドルフ/
 おおっ、上記参照先には、「東部戦線の神様」熊谷徹先生のHPが!
http://www.newsdigest.de/newsde/column/dokudan/1869-756.html

監督と外交官と将軍(将軍の「肩そで」にはクリミアシールドが)
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 見比べるで思い出しましたが、44年7月20日事件を扱った「ワルキューレ」(2008)は期待が大きかったので、後半の展開(アメリカ映画にありがちな、ドラマチックに盛り上げようとして展開が嘘くさい)にがっかりしたものです。子どもの頃、シュタウフェンベルクを描いた白黒映画(タイトル不明/たぶん「Es geschah am 20.juli」)をテレビで見て甚く感動したことと比べていたのでしょう。もう一度しっかり見てみたいのですが。
 たぶん、この映画と思うのですが。(タイトルが微妙にちがう?)
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 劇中、ヒムラーの使者のSD将校(傍若無人)がいい味出してます。
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すごい蛇足で、恐縮なのですが、最近の映画にしては珍しいと思ったのが、字幕の表記で、ドイツ人のなまえ(具体的には忘れちゃったけど、たとえば「マイヤー」を「マイヤル」みたいにしてる?)とか、「装甲(パンツァー)師団」を「パンサー師団」(フランス語専門の人がつくったからなのか?)とかが気になりました。(野暮天すみません。)
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by poemaquince | 2015-03-29 21:51 | 映画 | Comments(0)