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クメール・ルージュの教訓(涙) 映画「消えた画」観てきました

 2014年7月、渋谷ユーロスペースにて映画を観てきました。渋谷はあまり慣れないのでちょっと迷います。井の頭線渋谷駅から円山町方面へ抜けるのですが、ラブホ(とライブハウス?)街の真ん中になんとかたどりつけました。
 今回の映画はリティ・パニュ監督「消えた画 クメール・ルージュの真実」です。
 
 カンボジアに生まれた監督の少年時代 一家はプノンペンという都会に住み、父は教師、一族が集まっての宴などの開かれる、のどかで恵まれた生活の記憶が語られます。1975年4月、カンプチア共産党(クメール・ルージュ/ポル・ポト派)が内戦に勝利すると、少年だった監督の一家は「革命の敵」として、貨車へのせられ地方へと送られます。首都プノンペンに住んでいた住民は全て農村へ送られ「全ての人民が生産に従事する平等な社会」の建設が始まるのです。
 当時のクメール・ルージュの宣伝フィルムと、カンボジアの大地の土から作ったクレイ人形を使って監督の記憶のなかにある「画」で当時を再現していきます。少年の過酷な体験、オンカー(党/組織)の支配が淡々と語られます。
 左であれ右であれ、全体主義を導いてしまうイデオロギーになぜ人は絡めとられてしまうのか。全体主義の萌芽を見分けることができるのか。映画をみながらうつらうつら考えます。映画で、クメール語(?)のインターナショナルが流れてきます。ここにもまた「あらかじめ失われた革命」があると胸をつかれるのでした。それも70年代に!

ユーロスペース入り口(3階になります。)
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円山町のラブホ街の一角にあります。
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クメール・ルージュ兵の出で立ち
黒い農民服、中国製緑色軍帽(人民帽)、ギンガムチェックのマフラーそしてカラシニコフ
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(C) CDP/ARTE France/Boophana Production

民主カンプチアの国章のまえに並ぶ「自由ないでたち」の新人民
何人が生き残ったのか。
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(C) CDP/ARTE France/Boophana Production

この人がポル・ポト(サロト・サル)
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 映画では当時の歴史背景や、クメール・ルージュについての説明はほとんどなされません。あくまでざっくりですが映画の参考にカンボジア(カンプチア)のあの前後の時代についてメモっておきます。(これだけ読んでも余計分からないかも)
 1970年、CIAに支援されたロン・ノル首相のクーデタに対抗するかたちで、シハヌーク国王を中心とする「王国民族連合政府」による「解放運動」(内戦)が始まります。また、域内へは当時の北ベトナムも「解放勢力」として軍事力を行使したりしています。内戦の過程で、それまで協調的と見えたクメール・ルージュが、カンボジア解放に向け共闘して来た民族派や穏健な政治グループを粛正してしまいます。上述のとおり75年には首都プノンペンを掌握し、クメール・ルージュが極端な「農業集団化政策」や通貨の廃止、プチブル階級(新人民)の抹殺など恐怖政治を実施します。(当時、外部ジャーナリストを遮断していたため国内の実情はほとんど伝わらなかったといわれています。)しかし79年にはベトナムに支援されたヘン・サムリン(じつはこの人も元クメールルージュなのですが)の新政権がプノンペンに樹立され、クメール・ルージュの恐怖体制は終焉し、ポル・ポト派は北部国境地域へ逃亡したのでした。



たぶん90年代初頭のNHKの番組と思うのだけど、分かりやすくまとまっているので、参考にどうぞ

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by poemaquince | 2014-07-13 20:42 | 映画 | Comments(0)