モッズコートとは何か? 或いはM-51PARKAは如何にして「モッズコート」となりし乎
概観:"日本の女性ファッション誌からの派生"
2000年を過ぎたあたりから、街ではお洒落着としてファーフードのついたコートがちらほら見られるようになりました。その当時は、いわゆるミリタリーコートのなかではフライトジャケット系テイストをひきずったデザインが主流だったような気がします。その後、ファー付フードのコートが流行りだし、05年あたり?から、フィッシュテールデザインなどをモチーフとしたファーフードを付けたミニマルなコートなどが多数出現し、女性誌などで「モッズコート」などと呼びならわされるようになりました。それがいわゆる「モッズコート」の始まりと考えています。当初は「フィッシュテールパーカをルーツとするデザイン」に限って自覚的に?「モッズコート」と呼んでいたと推測されますが、ことばが流通するに従って、ファー付のミリタリー調のコート系はすべて「モッズコート」と呼ばれるようになりました。そしてここ5年くらいで、「モッズコート」の名称が完全に定着してしまったといえると考えます。(本稿2010年1月「M-51PARKAの呼称について」参照) さらに恐ろしい(笑)ことに、ネット通販などを通じ海外へも「MODS COAT」なる呼称が広まりつつあるように思えます。「MOD PARKA」や「FISHITAIL PARKA」が駆逐されてしまうのでしょうか?
そもそも、それ以前はモッズ「コート」などではなく、あくまでモッズ「パーカー」と呼ばれておりました。60~70年代の日本での状況は分かりませんが、79年の映画「さらば青春の光」(写真)をひとつの契機として、その後の80年代前半のモッズパーカーの流行があったといえると考えます(当時は、まだその身形に対抗文化の匂いが感じられました)。が、その後ミリタリー系アウターは、フライトジャケットやM-65(フィールドジャケットの方)などと入れ替わり立ち替わり大・小流行を繰り返しながら時代が下っていきます。
90年代後半には「青島コート」流行というM-51パーカ受難の時期を経て、冒頭のファーフード流行に連なるのでした。
ここ数年、アパレル系のデザインソースとして完全に定着しドメスティックブランドからも数多くの製品がリリースされるに至り、もうまったく完全に「カウンター」でも「カルチャー」でもなく消費されていくのでした。(まあホントは80年代も「消費」だったんだけどさ)
で、本物のModsで、M-51Parkaを着た人たち 1964年ブライトン
(Brighton 1964 Photo by Keystone/Getty Images)
当時(から90年代まで)は、ファーを付けない着方がポピュラーでした。
00年代のファー付フードの流行にモッズパーカーの意匠が合流したものが「モッズコート」として現在に至っていると考えています。(ただし、メディアの流通過程で、「モッズ」の意味・意匠が消失してしまったことは前述のとおりです。)
映画「さらば青春の光」(1979) Phil Daniels/QUADROPHENIA(1979)
ジミーの着こなしはオーバーサイズでも今見ても素敵です。
実は私もここ最近のモッズコートという名称が鼻について、モッズパーカだろ?と思っておりました。
私自身はモッズではありませんでしたが、音楽を通じて近いところにいました。
80年代は確実にモッズパーカでした、90年代も雑誌での呼び方はモッズパーカでした。
(ただし、90年後期、モッズの文化的側面を2~3行でしか載せないファッション誌を除く。)
2000年以降は壊滅的です。
記憶と記録をサンプリングして自分なりに考えてみたことを自分のWikiに
以下のような項目でまとめてみました。
つたない考察でお恥ずかしい限りですが覗いていただければ幸いです。
モッズコート・モッズパーカ
パーカとは
ユースカルチャーとの融合
Modsとモッズコート・モッズパーカ
ModsとM-51パーカ
M-51パーカ戦場からストリートへ
ModsとM-65パーカ
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